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3) S氏との関わりから

S氏は昨日、倦怠感が強く身の置き所のなさを訴えていた。食欲もなく、時々嘔吐されていた。嘔吐による脱水の苦痛を予防するため点滴が処方された。初めて点滴するとき私がS氏の所に持っていき、「食事がとれない分、少し水分を補給しますね」と説明した。S氏が「いよいよもう終わりね」と話され、私はどうしようと焦り素直になろうと思いつつ迷った後に「食事の代わりですから」と、患者の訴えとは違う答えをしてしまった。

ホスピスに入院している患者さんのほとんどが栄養剤の点滴はしておらず、患者さんはそれを知っており、点滴するときは最後のとき、どうしようもなくなったときと捉えていたようだ。現在の身体的苦痛と今後起こりうる苦痛への恐怖、孤独感、死への恐怖など今となってははかり知ることはできないが、そのときS氏がどう思いそう話されていたのか知り、不安な思いを理解する必要があった。また、私は答えを出そうとしていたことをスタッフの数人と話し気づくことができ、患者さんが答えを出せるように聴いたり、そばにいることが大切であった。人の思いはそれぞれで、その人がどう感じ何を体験しているのか、憶測ではなく知ろうとする努力が重要だということを実感した。また答えを出すのは医療者ではない、患者・家族なのだということを再確認し、これまで一方的に指導、説明し自分の枠の中にはめ込もうと習慣化してきたことも気づくことができた。

その後この体験からS氏との関わりを通し学びたいと考え、連日訪室した。

持続皮下注射(塩酸モルヒネ)の中にドルミカムが追加され、前々日からは内服だったトラベルミンも混注された。私のイメージの中には倦怠感はとれないということと、ドルミカムが前日の状態で使用されると意識レベルは低下してしまうだろうということであった。しかし、本日S氏の所に訪室すると、一日のほとんどは傾眠しているが食事のときには覚醒し、前々日は嘔吐や食事の味覚もあまり感じていなかったが、「おいしい」と摂取されていた。ご家族とも会話されていた。身体状況は確実に悪化しているが、症状は軽減し、それによって食事も、ご家族との触れ合いもできていた。また、前日からご家族が付き添うことで症状のとれた時間を共に過ごせていた。ターミナル期では薬物量は大変微妙で、以前Drが「緩和ケアは一日に何度も患者の状態を知り、薬剤の量を検討していかなければ症状マネジメントはできない」と言われていた意味、難しさを知った。

徐々に意識がなくなり、痛覚刺激にかろうじて反応する程度であったが、娘さんたちは「今まで以上に全身を観るようになった。今までこんなにじっくり人を観たことがない。首は太い、手は温かい、脈もしっかりしている、すぐ手足が赤くなるから裏替えしている」などS氏の状態を体で感じていた。喘鳴は時々観られるが表情は穏やかに眠られているようである。ご家族は明るくS氏と共に過程を過ごされているように感じられ、現代では珍しいのだと思うが、高校生、中学生もS氏に対する思いが強く、自然に現状を受け入れられているように感じられた。これにはナースや医師の全身(五感)を使って患者の状態を把握している姿勢も影響していると思う。

スタッフ全員が同じ目標に向かいケアし続けること、苦痛を緩和すること、無効、負担になりうる治療はできるだけしないこと、全身状態の判断、死期の見極めと家族へのインフォーム、日々の家族への援助などにより、より良い生を生きる援助が行えると感じた。

S氏の娘さんたちはこれまで笑いが絶えなかったが、今日は目に涙を浮かべていた。血圧が40台だったが「脈はしっかりしている」と観ていた。呼吸回数は減少していたが穏やかな表情は変わらない。しかしご家族の気持ちは変化しているようだった。状況が解っていても死が間近に感じられることで、様々な思いが出てくるのだろう。心理は変化し続けることを忘れず、相手の感情の状況を把握しながら関わる必要性を感じた。

 

 

 

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