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食事は摂取困難であったが点滴をするとがんも育つという理由から、流動食が出されていた。不眠に対しアモバンを処方、不安に対してはホリゾンを処方、無気力に対してはCSIのデカドロンの増量により症状がコントロールされると物事をポジティブに捉えることができるようになり、5月16日の誕生日を目標に次は妹の誕生日、その次は夫の命日までというように、自分なりの楽しみを見つけて残された時間を精一杯生きようと頑張っている姿を見ることができた。

 

4) 考察

K氏は7年前、胸の腫瘤に気づき受診した時「乳腺炎かな?」と漏らした言葉から悪いものではないと思い込み放置する。1年後ゴルフボールの大きさまでとなり再度受診すると、「3か月後に受診するように言ったのにどうしてここまで放っておいたのか」と言われるが、K氏は「聞いていない」と押し問答となる。その後神奈川県立がんセンターへ紹介入院となり、「がんの疑いがあるので検査して調べましょう」と説明を受けるが、それ以後詳しい説明がないまま手術となる。麻酔から覚醒すると乳房がないことにショックと憤りを感じ兄弟へ問い詰めるが、「悪いところは全部取りました」との説明のみで予後に関することは一切されなかった。

この2つの件から、医療者は患者・家族へ説明したと思っていても、実際相手に理解、認識されていなければ十分な説明をしたとはいえない。必ず相手が正しく理解しているか一つひとつ確認し、また相手が動揺しているような状況下では日を改めて再度説明するなどの配慮も必要である。誤った理解がのちに不安や不信感を募らせ、大きな波紋を呼ぶと思った。K氏は外来通院でも不信感を抱くような出来事があり、病院を変更するまでに至った。中央病院では疾病・検査・治療・経過・結果など丁寧に詳しく説明があり、この医師にお任せしようという考えになり、化学療法の副作用にも耐え頑張ってきたという。

ホスピスに入院後しばらくは情緒不安定な時期もあったが、症状がコントロールされると心身ともに落ち着き、6月30日には「今まで一番調子がいい、もう駄目と思っていたのでこんなになれるとは思っていなかった」というような言葉も聞かれるようになった。患者からはホスピスに対する感謝の言葉と、ホスピスを知らないで苦しんでいる多くの人達に知らせたい気持ちでいっぱいであるという。

人が本来の自分らしさを取り戻し、人間らしく物事を考えられるようになるには、症状コントロールをつけることの重要性をあらためて感じるとともに、K氏を取り巻く兄弟・友人・亡くなった夫、さらに医療者の温かい支えがあってこそ今のK氏があるのではないかと思った。

 

事例紹介2

 

1) 患者紹介

患者:H氏、80歳、男性

職業:以前は鉄鋼業勤務、現在は無職

病名:肺がんのターミナルstage、高血圧

ホスピス入院:1999年6月23日〜7月15日

ホスピスの理解:痛みを止めて安楽にあの世にいけるところ。自然のままで延命処置をしないところ

介護者:妻・長女

 

2) ホスピス入院までの経過

1997年10月、食欲不振、体重減少にて八王子消化器病院受診。胃腸・DMの検査では異常所見なし。

1998年6月、CX-Pにて肺炎所見あり。気管支鏡にて肺がんと診断。

1998年7月、南部地域病院にて放射線治療施行。

1998年10月、右前胸部痛出現し、南部病院受診するが、治療終了のため八王子病院へ行くように言われ再度受診。

ボルタレンやレペタン坐薬を使用するがペインコントロールつかず、また食欲低下や不眠の訴えもあった。本人が新聞でホスピスのことを知っており自ら希望する。1999年3月18日、当院のホスピス外来を受診し、以後外来にて緩和治療を行うが、6月21日、疼痛増強しモヒ水増量するも効果なく、6月23日、当院の緩和ケア病棟に入院となる。

 

 

 

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