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今回の実習で一番学んだことである“沈黙”。どの看護婦も沈黙のときをとても大切にしていた。患者の気持ちの整理をさせる沈黙。体に触れることでともにいるということを伝えるための、あえて言葉にしない沈黙。症状マネジメントに取り組むことはもとより、たとえ言葉は交わさなくてもそばに座りこんで患者とともに空間を占め、時間をともにする姿勢。

私は沈黙を意識し、ある患者の傍らに座り腕をさすっていた。吐き気という苦痛に対し、患者は一人で戦っているということ、孤独に対し一人で戦っているということを知った。

「このような精神的痛みに対してわれわれが提供できるのは、技術ではなく人である。孤独をいやすのは技術ではなく人との交わりである」2)と柏木は言っている。終末期患者を看取る看護婦に求められることは、高度な技術よりも、決して逃げず人であるこの自分自身を提供することであると考える。

 

患者とは

 

訪問看護実習を通し一番驚いたのは、患者の顔であった。初対面なので病棟での様子はわからないが、とてもリラックスした表情であった。それは病人の顔ではなく、家族の一員である顔。それまでの歴史を持った顔である。この顔が本来のこの人の顔であろう。病院ではなぜこういう顔にならないのであろうか。患者は病院でもこういう顔でいたいにちがいない。それを邪魔させているのはなにか。時には病院の規制であるのかもしれない。しかし、一番の理由は“良い患者でいなければならない”と患者に思わせてしまう医者であり、看護婦なのではないだろうか。医療者はそこのところを十分に認識し、シシリー・ソンダースがよく言う「あなたは、あなたであるから意味がある」ということを伝え続けなければいけないのである。

患者とは、病気に支配された人ではなく、ずっと長いこと刻んできたその人の歴史との連続における生活のなかで生きてきた人である。その患者の歴史を大切にすることが患者の“生”を尊重することであると考える。

痛みが増強しているにもかかわらず、何か“意味”があり痛み止めを増やそうとしない患者。今までに寝たきりで歩くことすら忘れていて看護婦の一言で歩くことができ、そのことに感激している患者。近いうちに訪れる“死”の準備として最後の散髪をして旅立っていった患者。患者の歴史は生きている間続く。そして彼らは私に、ただ死なずに生きているということと、生きることとは同じではないと教えてくれたのである。

 

ホスピス/緩和ケアとは

 

症状コントロールが上手くいく患者、いかない患者。死後自分の体を献体に出したいと望む患者。精神的不安をぶつけてくる患者。平安を求め看護婦と共に祈り賛美歌を歌う患者。

肉体的・社会的苦痛を負いながら、心の葛藤を繰り返し、そして最後には自分自身の生涯を振り返り、これからむかう死を見つめる。この過程におけるケアがホスピスケアであり、緩和ケアであると実習を通して再確認できた。

歴史ある自分自身の生涯を振り返ったときに生じる痛み。これからむかうであろう死に対する痛み。スピリチュアルペイン。この痛みにも対処しなければならないのがホスピスケアであり、緩和ケアなのである。死にゆく患者、死が間近にせまったと感じている患者は、いままで築きあげてきた名誉や財産、地位までも剥奪され、魂がむきだしになっている。このようなときに生じるスピリチュアルペインに看護婦がいかにかかわるか。これがホスピスケア/緩和ケアの醍醐味であり、根底のケアであると、患者とともに祈るというこの病院で実習させていただいて明確になり、また確信することができたのである。まさにホスピスケア/緩和ケアとは、人として生まれてきたが故に、生きているが故にもっている痛みまでもケアするという「生の全う」に焦点を当てたケアであると考える。

 

 

 

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