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生き切るためのケアの提供を

 

前橋赤十字病院

反町 利恵

 

はじめに

 

《人々が最期まで人間らしく、その人らしく生ききるのを支える》。これが今までの私の短い経験と私が出会った本から、私なりにとらえていたホスピスの理念である。

こうして築き上げてきた理念や理論をきちんと丁寧に振り返ることにより、さらに深みをましたものとして、自分のものとすること。そして、緩和ケアの確実な知識・技術を身につけること。この2点の課題のうち特に先記について、実習中の学びを通し、《看護婦とは》・《患者とは》の観点からホスピス/緩和ケアについて学んだことを報告する。

 

看護婦とは

 

白衣の圧力…

看護婦とはいかなる存在なのかを知ることは、看護婦として働く以上当然知るべきことである。しかし、白衣を着てしまうと一方的な見方しかできなくなり、患者からはどう映っているのか本当の姿は見えていないのが現状ではないだろうか。

実習開始3日間、ボランティアとして白衣を脱いで患者とかかわった。部屋を訪室し、私ははたと困った。患者に対し、何と言葉がけをしたらよいのか分からないのである。白衣を着ていたらきっと「具合はいかかですか。昨夜はよく寝られましたか。痛いところはないですか」など矢継ぎ早に質問を問いかけていったことだろう。しかし、今日は白衣を着ていない。ボランティアである。そのような言葉かけはふさわしくない。何か違う。その違いとは何か考えたときに疑問が湧いた。《疾患に焦点がいっている患者を見るのか、人としての一人の人に焦点がいっている患者を見るのか》ということである。看護のプロとしてもちろん症状や状態を見ていくことは当然だが、まずひとりの人として見ていったときにでる第一声は、上記のような言葉ではないはずである。そのことに気がついたとき、私は無言で白衣による圧力を患者にかけていると感じた。山崎は「白衣を脱ぎボランティア活動を体験することを通して、看護婦として働いているときには、実は白衣の権威のもとに活動していること、患者のためにといいながら自分のぺースで看護をしていたことに気づくのである」1)と言っている。我々はこの事実を承知していなければならない。この事実を承知していなければ患者と同じ目線にはなれないのである。よって、患者と同じ死を背負った限界をもつ存在であることを認識しつつ、お互いに支えあうことができるのである。

 

人であるこの自分自身を提供すること

近づきつつある死を体で感じながら、じっとベッドに横になっている末期患者。私たちはその人にいったい何ができるのか。

看護婦と行動をともにしたときに感じたのは、一人の患者のところにいる時間が長いこと。それは、処置のためではない。会話が続いたからでもない。何もしないでただ患者の体をマッサージしたり触れているだけ。患者も看護婦も話はしていない。ただ沈黙…。患者の安らかな表情と看護婦のやさしいまなざし。そのふたりの姿がとても自然であった。

 

 

 

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