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私もやってみましたが、結構気持ちのよいものでした。

本誌 排便はどうでしたか。

池野 それが便は出ないのです。私の場合、老朽船での六日間に二回の排便がありましたが、救命いかだに移ってからは一度もなかったです。他の人も同じようでした。救助された後たくさんの食事をとっても、ほとんどの人が三日間くらい出なかったようです。

本誌 漂流中の会話はあったのですか。

池野 意外に深刻な話は出ませんでした。食い物や飲み物の話が多かったです。例えば故郷の飲み物が話題にのぼり、自分のところでは何を入れるとか、別の地方のものが俺のところは何を入れるからうまいんだなどと、そんな話ばかりやっていました。何も喉が渇いたときにそんな話をしなくてもと思いましたが。結構会話の中に笑いがあって、最後まで笑いが消えることはなかったです。

 

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アロンドラ・レインボー号

 

時計がない不自由

 

本誌 漂流中の見張りはどうしましたか。

池野 当直をきめて交代で見張りさせましたが、時計がないので大体の見当で交代させるので三時間だっり、五時間だったりだったと思います。

それから時計があると昔習った知識で概略の位置も推定できたのですが、自分がどこにいるのか全く分からず、不安な毎日でした。

本誌 助けられた漁船は見張り当直が発見したのですか。

池野 あれは昼だったので、皆が見つけました。それまでに何回か夜に他船に信号を打ち上げましたが、信号が見えなかったのか、こちらを海賊とみて警戒したのか近づいてくれませんでした。

本誌 日付は分かりましたか。

池野 海賊船での六日間は、縛られていたし、紙も鉛筆もないので頭でカウントしていたのですが、救助されてみると私のは一日狂っていました。

池野 漂流中はライフラフトに鉛筆と紙がありましたので、もし助からずに死んだときに、どのようにして死んで行ったかを記録に残すために救命いかだに乗るまでの記憶と乗ってからの記録を記入しました。ただ、直ぐ紙面がなくなったのですが、海賊がくれたタバコのカートンが役立ったのです。

本誌 喫煙者には助かったでしょうね。ライターはあったのですか。

池野 それが不思議なんです。ライターを持った者がいたんです。私も煙草は好きなんですが、空腹状態で吸うとくらくらするのと、喉が渇くので一日にせいぜい一〜二本がいいところで、ほかの人もあまり吸わなかったです。変な話ですが、煙草だけは豊富で助かったときにもあまっていました。

 

サバイバルには水と技術

 

本誌 煙草のみにはえらく理解のある海賊だったようですね。ご経験からサバイバルのために参考になるまとめを。

池野 水が一番大切だということですが、ようするにサバイバルのための知識や技術を知っておくことでしょう。

本誌 お疲れのところ大変貴重な経験談をありがとうございました。

 

(注)TENYU事件とは

TENYU(パナマ船籍貨物船、二、六六〇総トン、韓国人二人、中国人十三人乗組)は、一九九八年九月二十七日、インドネシア・クアラタンジュンでアルミ塊約三、〇〇〇トン(時価三億五千万円相当)を積載し、二十二時二十五分韓国向け出港、翌日から行方不明となる。

十二月二十一日、中国の揚子江上流の張家港に入港した「SANEI 1」が船名を変えたTENYUであることが判明した。その後TENYUは船主に返されたが、積荷と乗組員は行方不明のままとなっている。

 

 

 

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