日本財団 図書館

共通ヘッダを読みとばす


Top > 歴史 > 地理.地誌.紀行 > 成果物情報

自然と文化 第61号「アジアの柱建て祭り」

 事業名 観光資源の調査及び保護思想の普及高揚
 団体名 日本観光振興協会 注目度注目度5


御柱神事の循環構造[山作衆と八龍神社氏子衆の役目の意義]……原直正

 

七年毎に巡ってくる寅と申の年、全国諏訪神社の総本社が鎮座する諏訪盆地は、年内祭り一色となる。この祭りは、山で伐採した巨木を諏訪湖の南北に鎮座する諏訪神社上社(本宮・前宮)と、下社(春宮・秋宮)の四つの社に曳き付け、その四隅に建てるもので、建てられた柱を「おんばしら(御柱)」と呼んでいる。御柱は、六年の歳月風雪に耐え、次回の御柱の祭りに休める。「やすめ」とは御柱を倒し、撤去することをいう。そして再びその場所には真新しい御柱が建てられる、という事が繰り返されるのである。

御柱の起源については、神の降臨する柱、神域の表示、あるいは四方を守護する四神説、その他様々な説があり、定説はない。最近では、縄文時代の巨木遺構に、諏訪の御柱の起源を求める説もでている。

この祭り、曾ては、信濃国一国の貢税をもって御柱を建て、また宝殿及び・鳥居・玉垣その他の建物の式年造営が行われたが、江戸時代以降は、御柱と宝殿の建て替えのみとなり、奉仕も現在では諏訪郡内の氏子の人々により行われている。

祭りは、四月(古くは、寅年の寅の日、申年は、申の日よりおこなわれた)、山から里へ向けて御柱を曳き出す「山出(やまだ)し祭(さい)」と、「御柱屋敷」と呼ばれる御柱専用の安置場所にひとまず留めおいた御柱を、社の四隅に曳き建てる、五月(寅または、申日を初日とする)の「里曳(さとび)き祭(さい)」に大別されているが、それに先立ち、まず御柱御用材を見立てることからすでにこの祭りは始まっている。現在上社では、諏訪平の東端に位置する八ヶ岳連峰、阿弥陀岳の中腹の「御小屋(おこや)山(さん)」(下社は北方の霧ヶ峰山麓東俣(ひがしまた))において、寅または申年の前年(下社は二年前)に本見立(ほんみたて)が行われているが、本来の方式は、御柱祭の終了後、その年内に次の式年の御柱用材を見立ててこれに「おね鎌」と言う神器を打ち付けていた。当年三月にこれを伐採するが、古い記録によれば、正月または二月の寅(申)日にはこれを伐採している。これらの祭事の他、二月半ばには、曳行する御柱の担当地区を決定する抽選式(上社のみ)が行われ、より太い柱をと願う人々の熱気が境内に充満する。それが決まればその後各地区では、それぞれ担当する御柱に対応できる強さをもつ曳き綱を作る「綱打ち」等の作業が奉仕される。曳行の時必ず唄われる「木遣り」の練習も老若男女を問わず行われるのである。これらの奉仕に対する各地区の準備は前年にもすでに始まっているのであり、諏訪の人々の血は徐々にさわぎだすのだ。(図1])

 

049-1.gif

図1]御柱曳行ルート図(「御柱とともに」諏訪博物館より)

 

 

 

前ページ   目次へ   次ページ

 






サイトに関するご意見・ご質問・お問合せ   サイトマップ   個人情報保護

日本財団会長笹川陽平ブログはこちら

日本財団図書館は、日本財団が運営しています。

  • 日本財団 THE NIPPON FOUNDATION



ランキング
注目度とは?
成果物アクセスランキング
698位
(35,690成果物中)

成果物アクセス数
16,488

集計期間:成果物公開〜現在
更新日: 2023年4月1日

関連する他の成果物

1.二丈町姉子の浜の鳴き砂保全活用調査報告書
2.「玖島城址及び城下町武家屋敷街跡」調査報告書
3.「城下町彦根の町なみ?歴史的景観の調査と保存修景?」調査報告書
4.自然と文化 第62号「瀬戸内を生きた人びと」
5.自然と文化 第63号「御幣」
6.「下呂温泉まつり」ポスター
  [ 同じカテゴリの成果物 ]


アンケートにご協力
御願いします

この成果物は
お役に立ちましたか?


とても役に立った
まあまあ
普通
いまいち
全く役に立たなかった


この成果物をどのような
目的でご覧になりましたか?


レポート等の作成の
参考資料として
研究の一助として
関係者として参照した
興味があったので
間違って辿り着いただけ


ご意見・ご感想

ここで入力されたご質問・資料請求には、ご回答できません。






その他・お問い合わせ
ご質問は こちら から