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また、上に加えて、数軒みつかった農家、上の分類に入らなかったものをその他とし、水主住宅(漁家)とともに、3. その他の区分を作り、5種類20項目とした。次の頁に決定した建築種別を模式図で示し、項目ごとに、説明をしていく。

1-1-2-1 塀付平屋について

江戸時代、武士は門や塀、庭などを持った家に住んでいた。しかし、明治期にはいり、武士の多くが没落し、身分の高い武士の住宅であった規模の大きい住宅は塀や門を残すのみとなり、屋敷ごと当時のまま残っている例はほとんどない。足軽屋敷は、全面に簡単な木戸門と目板瓦葺の塀を構えた主屋の入口が直接道に面していない平屋の妻入り、または、平入りの住宅に住んでおり、芹町付近の足軽居住区などに多く残っている。以上の3種と、楽々園など、城下町当時の施設で、現在は歴史的な文化施設として利用されているものをいれ、塀付平屋の区分を、a平入り、b妻入り、c家なし、dその他、の4つとする。

a平入り 主屋が切妻瓦葺で、その棟方向が全面道路と平行し、平入りとなるが、前面道路から数m入った位置にある(写真1-2)。

b妻入り 主屋が切妻瓦葺で、その棟方向が全面道路と直行し、主屋の前妻面に下屋を設け、その壁面が道路と接する。門はその脇にあり門から入れば右または左手にある主屋の側面に入口がある。つまり平入りとなる。形式上では平入りだが、通りから見た外観は妻入りなので、今回は妻入りとする(写真1-3)。

C家なし 先にも触れたように、塀付平屋は明治に入りその多くが没落し、規模の大きいものは現在ほとんど残っていない。(写真1-4)しかし、歴史的文化財として長屋門や塀のみが残されている場合があり、これを家なしとする。

dその他 第1郭内にあった、楽々園、玄宮園、八景亭の3軒をその他とする(写真1-5)。

1-1-2-2 塀付2階建てについて

明治期に入り西洋文化の流入と共に、建築にもその流れが見られ、ここでは塀、庭などを持つ2階建ての建物、洋風建築を取り入れた建物を指す。区分の内わけとしては、a近代和風(邸宅風の建築)、b近代和風洋館付き(邸宅風建築に一部、洋館建築が付いているもの)、C近代洋風(洋館建築)、d庭付き町家型(邸宅風の建築様式ではなく、町家の建築様式で周りに庭や、門を配したもの)と4つに分けることにする。

a近代和風について

入母屋破風で家の前面に庭のついた(場合により塀、門付き)家を近代和風とする(写真1-6)。

b近代和風洋館付き

1階前面に1部屋のみ洋館を付属する、洋風建築を取り入れた近代和風住宅を近代和風洋館付きとする(写真1-7)。

c近代洋風

西洋文化とともに流入してきた、洋風建築を近代和風とする。地元の大工によって、木造建築で多く建てられたが、国の重要な施設など(滋賀大学の施設など)は、本格的なレンガ造りのものもある(写真1-8)。

d塀付き町家型

近代和風と違い、切妻の町家であるが前面に庭、塀や門を構えたものを塀付き町家型とする。町人地ではなく、武家地に建つことが多いため、町家ではなく近代建築に分類する(写真1-9)。

1-1-2-3 町家について

町家の建築様式は、江戸幕府崩壊後もそのまま受け継がれ、おおよそそのスタイルは昭和30年ごろまで続いた。年代が新しくなるほど軒高が高くなる傾向がある。そこで、町家の区分を、a平屋、b低町家、高町家、d3階建ての4つとする。

a平屋

通りに面し、間口いっぱいに隣と軒を連ねて建っている建築を町家とし。その中でも1階建てのものを平屋とする(写真1-10)。

b低2階町家

低町家は明治期から続く古い形式の町家である(写真1-11)。足軽屋敷と異なり、2階建てが許されていたが、軒高の制限があったといわれている。今回、目分量で低町家と高町家を区分したが、調査後の集計でおよそ4.5m未満が境界となっていた。(ここでは、低2階町家としているが、本文では以降、低町家と呼ぶ)

 

 

 

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