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石高50石以上の武士の居住していた1]武士居住区、石高50石以下の武士の居住していた2]足軽居住区、町人や商人の居住していた3]町人居住区、琵琶湖の水運に携わった水主衆(かこしゅう)の居住していた4]水主居住区、現在の地図上ではお堀の中や、城下町外の5]その他、の5つの区分に分けることにする。

江戸時代は、武士の居住区には長屋門に庭を配した大規模な武家屋敷が、足軽居住区には、簡単な塀、棟門のついた平屋の妻入り、ないし平入りの足軽屋敷が、町人居住区には平入りで道に面した窓に格子のついた町家が、水主居住区には妻入りで、隣に倉庫のついた水主住宅の家なみが並んでいた。つまり、身分によって建築様式に違いがあった。こうした、建築様式の違いによって、武士居住区では道に面した部分が門や庭となり、通りは静かで落ち着いた雰囲気がただよう。町人居住区では、道に面した家々からや町人衆の活気に満ちた賑わいがあり、それぞれの居住区がそれぞれに独特の風景を持っていた。そして、それが城下町らしさをつくりだしていた。しかし、江戸から明治に入って、四民平等の政策が打ち出され、身分制度が廃止され、それにともなって、身分による居住区分けがなくなった。すると、身分的居住区とその身分に対応していた建築種別の関係がなくなり、更に新しい文化の流入などにより、江戸時代にはなかった建築も建ちはじめた。こうして、城下町・彦根は江戸時代からの姿を少しずつ、変えていった。

1-1-2 建築種別の定義と分類

建築種別の分類を行う前に、それぞれの建築の形式に対する定義をする。まず、1]門や庭、塀を持った屋敷構えを持つ建築と、2]間口いっぱいで通りに面して建つ建築の2種類に分ける。前者の中でも、平屋のものを1]-1塀付平屋、2階建てのものを1]-2塀付2階建とする。1]-1塀付平屋とは厳密にいえば、江戸時代に建てられた武士階層の家(武士住宅)であるが、今回の調査ではエレベーションの調査しかしておらず、外観のみでは調査した民家が建築年代の判別はできない。このため、建築形式としては門構えを持った平屋の建築を、1]-1塀付平屋と定義した。もちろん明らかに平屋でも新しい建築や伝統的な様式以外のものは塀付平屋に入れていない。また、1]-2塀付2階建についても、塀付平屋と同様で門構えを持ち、2階建ての建築を指すこととする。

2]通りに面して建つ建築としては2]-1町家、2]-2長屋の2種類にわける。2]-1町家については、表通りに面して建つ独立した1戸建て切妻住宅で、軒が通りに対して平行で平入りのものを指す。また、切妻住宅でも、軒が通りに対して垂直で妻入りの住宅については琵琶湖の水運などに携わった水主衆の住宅、3]-a水主住宅とする。また、町家と同じ建築様式で表通りに面して建つ住宅であるが、1戸建てではなく隣と柱を共有し、連戸して建っているものを2]-2長屋とする。

建築の形式によって、建築種別を以上のように定義したが、調査を進めていく中で、全ての民家にこの定義があてはまるとは限らず、1]、2]の両方の要素を持った、簡単な塀の付いた長屋、庭や門を持った邸宅風の町家が何件かみつかった。前者は、足軽居住区に多く、町家の建築形式ではあるものの、道路より少しだけ後退して建ち、簡単な塀が付いたものである(写真1-1)。庭を持たず、密集した建築であったため、2]-2長屋に分類した。後者は、庭などの形式は邸宅風でありながら、建っている民家が切妻であり、「道に面する」という、町家の概念にあわないこと、また、武家地に多くたっていることから、1]-2塀付2階建に分類した。

 

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写真1-1 芹町の町なみ(足軽居住区)

 

 

 

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