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というのは、元禄といえば当然忠臣蔵事件が主体になるので、視聴者の関心もおそらく四十七士の仇討ちに気持ちが向いてしまうからだ。わたしの見方は、かなり偏っている。しかし、なぜこんなことを書いたかといえば、「地域が発信する歴史に関わる住民は、当然その地域の"C・I(コーポレート・アイデンティティ)"でなければならない」という考え方があるからだ。C・Iは、地方に則していえば、「コミュニティ・アイデンティティ」といってもいいかもしれない。それは、「他の地域には見られない特性、あるいはこの地域らしさ」を示す。らしさというのは、相対的に"ナラ"という気風を生む。「この人物、あるいは事件のことなら、この地域に限る」という見方だ。しかし、「この人物、あるいは事件なら、この地域に限る」といわれるためには、そのことを知った他地域の人々が、「知ることによって得をする。こっちの地域でも活用できる」という"らしさ"がなければならない。わたしはまだそれが希薄だというのである。その意味では、人物あるいは事件の発信の仕方にかなり不満があるにしても、いわゆる、「町並み保存」に努力している地域は、それなりの効果をあげている。日本国内の城下町のほとんどがそうであって、訪れた人々に、単に観光対象として残された文化遺跡を見せるだけでなく、合わせて、「その地域の歴史」を学ばせてくれる。特異な例として長野県の妻寵や、愛媛県の内子の町などは、宿場町や、あるいは蝋燭問屋の町という特性をそのまま現在に伝える。

ついでに書いておけば、妻寵も内子も、わたしの知る限りではたしか役場の熱心な係長が主唱者になって実現したという。愛知県の足助町という地域があるが、ここにつくられた"三州足助屋敷"は、「手作り技術の生きた博物館」といわれている。紅葉で美しい川のほとりにつくられた集落だが、この集落の特性は、「集落内部で自己完結する」ということをモットーにしている。つまり、半分は観光的な面もあるが、半分は、「人々がそこで生活している」のだ。いってみれば"小規模なハウス・テンボス"といっていい。滋賀県の近江八幡市は、ここの城主であった豊臣秀次を見直すことを、町の活性化に活用している。豊臣秀次といえば、「殺生関白」といわれて、その暴虐性だけが伝えられてきた。

しかし地元では、「それは間違いで、秀次を悪くいったのは豊臣秀吉の謀略だ。秀次は決してそんな人物ではなく、近江八幡の町をつくった時にすでに平和を愛し、商人と市民を重んずる町にしている。この証拠が、碁盤の目状の道路整備であり、あるいは八幡掘りという琵琶湖に通じる水路をつくったことた」と主張している。これは、新しい生き方だ。つまり、いままで異なった評価を受けてきた人物に、新しい光を当てて、それをさらに町作りに結びつけようとする態度だ。こういう生き方が、わたしが最初に書いた、「過去の歴史を現代に生かし、同時にそのC・Iを情報として他に発信する」ということなのである。

 

プロフィール

童門冬二(どうもん・ふゆじ)

 

本名・太田久行。昭和2年、東京に生まれる。

かつて東京都庁に勤め、都立大学事務長、広報室課長、企画関係部長、知事秘書、広報室長、企画調整局長、政策室長などを歴任して退職、作家活動に入る。

歴史の中から現代に通ずるものを好んで書く。

執筆活動のかたわら、講演活動も積極的に行っている。

第43回芥川賞候補。日本文芸家協会、日本推理作家協会会員。

平成11年 勲三等瑞宝章受章。

著書に、「小説上杉鷹山」(上・下)「小説徳川吉宗」他多数。

 

 

 

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