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これは、その土豪や地侍が支配している地域の面積の広さや人口、あるいは財政規模などは一切関係ない。みんな平等に扱うという意味だ。このカラカサ連合の目的は、現在でいう、「広域行政の処理」である。現在も、市町村などが一部事務組合などをつくって、消防・ゴミの処理・環境の保全・災害対策などを処理している。つまり、一市町村では処理しきれない問題を、広域行政体をつくって分担金を出し合って処理していこうというやり方だ。毛利元就は、戦国時代にこれをつくった。かれは、郡山の吉田城という広島県の一隅から興って、やがては広島全県、山口全県、北九州、鳥取全県、島根全県、岡山全県、兵庫県の五分の四ぐらいまでその勢力範囲を広げた。これは完全に、いってみれば、「中国道、あるいは中国州」を確立したことである。しかしかれは、あの有名な三本の矢の教訓において、付言として、「毛利一族は、絶対に天下の争いに巻き込まれてはならない。天下に目を向けてはならない」と釘を刺した。このことは、現在でいえば中央集権に対する地方自治の独立ということを示している。いわば、「中国地方のモンロー主義」である。

しかしここに毛利元就の誤解がある。それは、地方分権が進んでも、国の仕事というものがあり、住んでいる人々は三つの人格を持っている。日本国民・都道府県民・市町村民の人格だ。また、国と地方の仕事の住み分けがあって国が、「ナショナル・ミニマム(最小限の仕事)」をおこなう。そして地方は、「ローカル・マキシマム(最大限の仕事)」をおこなう。住民に身近な仕事で、いま国がおこなっているものはすべて地方に移し、財源も手当てをするというのが本当の地方分権の考え方だろう。しかし現実にはなかなかその通りにはいっていない。そうはいうものの、ナショナル・ミニマムというのは、「平和の問題・経済政策・環境の保全・大規模な開発・教育の根本問題」などが入るだろう。しかし毛利元就がせっかく中国道・中国州をつくった当時は、これらのナショナル・ミニマムが確立されていなかった。日本国中、大名が勝手に関所をつくったり船番所をつくったりして、日本人の交通の自由を阻害し同時に物流ルートも確立されていない。一番肝心なのは、通貨がメチャメチャで統一された貨幣が発行されていなかったということである。ということは、この段階で毛利元就が、「天下のことに目を向けるな」ということは早すぎたのだ。やはりナショナル・ミニマムが確立されてはじめて、ローカル・マキシマムが実現できる。今後の地方分権においても、地方はいたずらに中央にケンカを売るのではなく、「役割分担を心得て、手を取り合って住んでいる人々の幸福を実現していく」ということでなければならない。

・その次に出てきたのが「最後の将軍徳川慶喜」だった。これは、バブル経済後おとずれた日本の諸状況が、幕末開国時代に似てきたからだ。

わたしのような古い世代は、時に外国諸勢力が日本の政策についていろいろくちばしをはさむことを、「内政干渉ではないか」という怒りを持つことさえある。幕末もまったく同じだった。特に幕末は、徳川幕府の政策で鎖国を長年続けてきたので、日本人の大半は外国知識がない。益田孝という人物が、「幕末の政府である徳川幕府の役人も、日本国民もほとんどが物価や統計というものの知識がなかった。つまり、この品物が今日日本でこれだけの価格があるとすれば、アメリカではいくら、イギリスではいくら、フランスではいくら、ロシアではいくらという知識がない。貨幣価値にしても、日本の一両がニューヨークではいくら、ロンドンではいくら、パリではいくらという知識がない。この無知を利用されて、幕府は完全な不平等条約を外国に結ばされてしまった。これに気がついて改正するのに、数十年かかっている」といった。そしてかれは、「今後は物価や統計を重視しなければならない。自分がそのデータを印刷物にして提供しよう」といって物価新報というのを出し、これが現在の日本経済新聞になっている。

最後の将軍徳川慶喜は、日本の中央政府であった幕府をいかに支え抜くかということと同時に、これらの外圧に対して日本の主権をどう主張していくかということで苦しんだ政治家だ。それなりの描き方はされていた。

・その後に出たのが「元禄繚乱」である。元禄時代は、徳川時代ではじめて訪れたバブル経済期だ。あの高度成長期をもう一度偲ぼうとするのか、それとも元禄時代の負の面を描き出して、「ああいう時代は、二度ときてはならない。異常事態なのだ。健全な時代の実現こそ望ましい」ということなのか、現在のところ、よくわからない。

 

 

 

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