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が、ある新聞に載ったドラマ制作責任者の言葉によれば、「ドラマは、制作スタッフの議論を中心にして何をやるか決めている。絶対に応じないのは、政治がらみの要望だ。これは、厳然として拒んでいる」という言葉があった。信じたい。そうでなければならないはずだ。そんな力関係よりも、「現代の時代相、現代人の苦悩や哀感」などを加味して、「どういう人物を中心にドラマを展開すれば、視聴者に対し励ましや勇気づけをおこなうことができるか」というようなモノサシが一番好ましい。大河歴史ドラマを扱う放送局は、NHKがその最たるものだが、ここ数年の扱われたドラマのテーマについてわたしはわたしなりに次のようなこじつけの論を持って考えている。

・バブル経済が崩壊した時は、「華の乱」が放映された。日本の歴史において、バブル経済の崩壊をおそらく応仁の大乱に見立てたのだろう。そうなると、その後おとずれてきたのは戦国時代である。戦国時代には室町時代の日本人の価値観や仕事のやり方におけるマニュアルなどがすべて崩壊した。無価値状況になり、江戸時代に入る前までは、「斬り盗り強盗武士の習い」とか「槍一筋で一国一城を目指せる」などという、新しい上昇志向が生まれた。これは、「力次第でのし上がれる」という無秩序状態を示す。だからこそ「下克上の思想」が生まれた。下克上というのは「下が上を乗り越える」ということである。現実に起こったバブル経済の崩壊後は、いわゆる「日本式経営」が影を消した。日本式経営を構成していた諸々の要件が役に立たなくなったと断定された。わたし自身は必ずしもそうは思っていない。日本式経営の根底にあったのは"日本人の心(ハート)"である。これまで否定しさったら、日本人のよさはなくなる。一考の余地がある。

・その後に、日本国中を吹きまくった旋風は"リストラ"である。ドラマでは「八代将軍吉宗」が放映された。吉宗は、享保の改革を実行して「徳川幕府中興の祖」と呼ばれた人物だ。かれの改革方法にはたしかに積極面と消極面の両方があって現在でも参考になる。しかし日本のマスコミが巻き起こした風潮は、リストラを単に「減量経営・働く者イジメ・なんでもケチる節約作戦」に限定してしまった。間違いである。本来のリストラクチャリングという言葉の意味は「再構築」だからどんなに財政難であっても「拡大再生産あるいは新規事業興し」ということがおこなわれなければならない。しかし財源が乏しくなっているのだから、その財源を生むために「血を見るようなきびしい改革をおこなう」ということでなければならない。このへんがあいまいなまま、単にリストラを手段としてしまったから、いまだにこの悪習が続いている。現実のドラマ「吉宗」は、あまり行財政改革とは関係がなかった。むしろ、女性問題や後継者を誰にするかというホームドラマに偏っていた気がする。

・しかし、マスコミが書き立てた「リストラの定義」が後ろ向きに徹してしまったから、日本中暗くなってしまった。ことに働き手が暗くなった。その被害を最大に受けたのが地方自治体だろう。本来なら、地方分権が進んで「国がスリムになり地方は太る」という方向性が持たれなければならないのに、地方もいっしょに行財政改革のやり玉にあがり、一所懸命身を細めるために皮をはぎ、肉をそぎ、骨を削る努力をしている。痛ましい。

・こういうように、リストラの曲解によって日本中暗くなり、特に働く者がやる気を失ってしまったので、ここでひとつ元気づけなければいけないということで「秀吉」が出てきた。何といっても、日本の歴史において秀吉は、農民出身から天下人にのし上がった立身出世の見本であり、同時にまたかれの明るい人との接触の仕方が、特に下積みの人々を勇気づけた。だから秀吉を演じた竹中直人もドラマの中でははじめから終わりまで「心配ご無用!」と叫びつづけた。しかし、秀吉の登場によってすっかり意気消沈してしまった日本中がどれたけ勇気づけられたか、はなはだ疑問である。

・「秀吉」が放映されている年に、一本の法律が国会を通過した。「地方分権推進法」である。この法律を具体化するために「地方分権推進委員会」が設けられて、五次にわたる助言をおこなった。この時大河ドラマ「毛利元就」を扱った。毛利元就はいまでいえば地方分権の推進に伴って必ず生じてくる「道州制」を戦国時代で実現した人物である。かれは"カラカサ連合″というのをつくった。これは、地域の土豪や地侍を主体とし、カラカサを広げると真ん中から放射線状に骨が出ているのをそのまま連判状として活用した。骨と目されるところに土豪や地侍の名前を書かせた。

 

 

 

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