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少子・高齢化社会を支える公的負担

 

I. は じ め に

20世紀から21世紀への世紀転換期は、奇しくも「社会構造全体」の転換する歴史的画期となっているという認識が、今や疑いもなく社会的共通認識になりつつある。それは「改革」という言語が、この世紀転換期に氾濫していることからも窺い知ることができる。しかし、現実に繰り返される「改革」は、いつも状況を悪化させる悲劇的結果を招き、時代閉塞状況を惹起している。

それはこの世紀転換期に生じている「社会構造全体」の危機について、原因と結果を取り違えているからだと考えられる。この世紀転換期の「社会構造全体」の危機は、競争原理で営まれている市場経済が、ボーダレス化するまでに突出して肥大化したために生じている。ところが、現実に打ち出される「改革」は市場経済の領域を拡大し、政治システムや社会システムという「非市場領域」をダウン・サイジングさえすれば、危機脱出が可能と考えている。

しかし、この世紀転換期の危機は、市場経済が肥大化し、政治システムが社会システムを保護するために張っていた社会的安全ネット(social safety net)が切り裂かれたために生じている。そのため公共の領域をダウン・サイジングするための減税を繰り返しても、社会的安全ネットが切り裂かれてしまっているために、「将来の不安」に脅えている人々は、減税によって生じた可処分所得の増加を貯蓄に回してしまい、デフレ・スパイラルに陥ってしまう。

市場経済の競争原理を普遍化するために、社会保障負担の引き上げと、給付水準の引き下げが繰り返され、社会保障への信頼性は動揺している。社会保障への信頼性が揺らぐと消費マインドは冷え込む。しかも、「日本的経営」が保障していた雇用保障、生活保障が解体されることによって、消費マインドの冷え込みは加速され、構造不況はますます深刻化している。

こうした時代閉塞状況から脱出するには、社会システムで営まれている人間の生活を保障する社会的安全ネットを張り替える「世紀の社会改革」を追求しなければならない。しかし、現実には社会的安全ネットを取り外す「改革」が推進されてしまう背後には、人々が「公共の領域」に抱いている深い絶望感がある。

こうした人々の「公共の領域」に対する深い絶望感は、「公共の領域」における意志決定が人々の手の届かない聖域でおこなわれているという政治的無力感に起因している。これまでの社会的安全ネットも、井上達夫教授がラッシュ(C. Lasch)の言葉を引いて指摘するように、参加民主主義(participatory democracy)の犠牲において成立した分配民主主義(distributive democracy)にもとづいてからである。1

そうだとすれば社会的安全ネットの張り替える「社会改革」は、こうした人々の深い絶望感を打ち砕くために、公共空間を人々の手の届く位置に創り出すことも含意しなければならない。

 

1井上[1990], 9ページ参照。

 

 

 

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