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よかったなあ、思うんだけども。それを人間が知っていて網をいれてしまいますけどね。だからこのように、自然というものは我々が認識しようとしまいとうまい摂理で働いているんですね。

そしてそのことが我々に全部繋がってきてるわけですよ。その都度、その都度、人間のいろんな理屈もあり、都合もあるでしょう。そしてそれを人間のほうに一生懸命傾けようとするでしょう。ところが長い目でみれば自然というのは全ての生命にとってより良くできているわけです。そして、全ての生命により良いということは、人間にとって当然より良いわけです。人間はすべての生命を利用して生きていますから。その果てに食物連鎖はいろんなものを食べちゃう、っていうことですから。いろんなものが健康によりよく生きられる場所があってこそ、我々はここで健康により良く生きられるということなんですよ。

 

「自然の姿というものを、自分に都合いいように

ねじ曲げるのではなく、自然のあるがままの形を

まず知らなければいけない」と考えます。

 

その時のその時代の考え方で都合よく自然を壊してしまったらば、それはきっと失敗だと思います。だって、永遠、自然というのは循環してて、例えば汽水域と−その命の循環−僕がたまたま簡単な解説をしているだけですけども。僕が言おうと言うまいと、そうやってなされていて、この循環というのはどんなに人間の技術が発達しようと作ることはできません。ちゃちなものだったら作ることはできるかもしれないけど、全部の川と海の接点がそうなっているんですから、地球上のですよ、全部の川と海の接点がそうできている。だからこの自然というものは、全く無駄がないんですよ。そして、じつにうまくできていて我々はそのことを知らなければいけない。自然の姿というものを自分に都合のいいようにねじ曲げるのではなく、自然な、あるがままの形をまず知らなければいけない、というふうに僕は考えています。

"光は万象の具"という話からずいぶん膨らましてしまいましたけれども、そういう自然に即して、あるがままにすべてある、何にも不足をしていないんだ、なんでもここに世の中にあるんだ、というそれは仏教的な、もっといえば禅的な考え方なんだけれども、ちょっと今僕はそれに心惹かれているわけです。ちょっと時間が過ぎました。僕の話これで終わります。どうも静かに聴いてくださって、ありがとうございました。

 

 

 

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