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それが変化するのは76年以後である。日本マクドナルドが76年に第7位に入る。それ以後、77年に第3位に上昇し、79年まで同じ第3位にとどまり、80年と81年は第2位、82年以後は断然第1位を独占するようになる。日本マクドナルドと同じ外国系のファーストフード飲食業も80年代に入るとベスト10に顔を出すようになる。日本KFCは80年からベスト10入りをする。90年になると、日本 KFCは日本マクドナルドに次ぐ第2位に上昇する。

1996年度の日本外食産業の売上ベスト10では、日本マクドナルド(第1位、2983億円)、日本KFC(第4位)、モスフードサービス(第5位)、ミスタードーナツ(第6位)と、ファーストフード系が大きく進出する。とくに日本マクドナルドは、71年の開店(銀座店、新宿店をはじめ同年に5店舗開店、売上2億円)から98年には2439店舗、総売上3337億円と驚異的に成長した。96年の売上1位でも2位のほっかほっか亭総本部の1640億円に1000億円の差をつけている。

 

3. 日本マクドナルドの特徴2

 

日本マクドナルドは98年3月8日に1日の総売上で16億9600万円を記録した。マクドナルド・ハンバーガーの販売個数は年6億7400万個、日本人一人が年4、5個食べていることになる。

この成功には、日本経済のバブルがはじけて景気が停滞し、デフレ効果が出てきた94年に、1個210円のハンバーガーを130円に下げるなどの意表を突く低価格商法が当たったことも理由としてあるが、そうした果敢な経営が行えるのは、日本マクドナルド(米国マクドナルド社と藤田商店との折半(50%ずつ)の資本提携による合併事業)の経営母体である藤田商店と、その創業社長 藤田田(でん)氏の一貫した方針が背景としてあるからである。

貿易輸入業としての藤田商店は、1950年に藤田が個人経営として創業したときにはじまるが、そこには徹底してアメリカとの関係が大きな役割を果たしている。大学生としてアメリカ進駐軍の通訳をしていたつながりからGHQから特別許可をもらい、銀座にある進駐軍のPXに品物を輸入調達することから藤田商店は創業された。それ以来、1960年に株式会社となり、欧米からの舶来ブランド品輸入のパイオニアとして活動してきた。輸入業者として成功するうちに外来商品の日本での売り方に精通し、商戦略を練る面で時代と客層の動きを適格に読み取る技術を発達させた。この経験がマクドナルドとの提携という日本におけるファーストフード化への先鞭をつけさせ、成功させる基盤となった。

以下、日本マクドナルド株式会社社長室プロジェクト担当部統括マネージャー、斎藤伸浩氏の直接インタビューに加え、同氏がまとめた「株式会社藤田商店による日本消費者市場への<マクドナルド>ブランド浸透戦略の内容と経過」(同氏の私的レポート)によって、その特徴を見てみる。

 

 

 

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