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(1) 文化性への着眼

興味深いことは、日本マクドナルドを設立するに当たって藤田商店では飲食業に進出する意識よりも、日本に新しい食事行為を導入するという市場戦略を大事にしたことである。アメリカ的なハンバーガーの食べ方、手づかみで立ち食いでハンバーガーを頬張るという「新しい欧米の文化」をファッションとして日本の消費者に浸透させることを基本戦略に据えた。76年当時、銀行などの反応はこうした行き方に対して理解を示さず、「訳の解らない水商売」との認識しか示さなかった。藤田商店はハンバーガーの「文化性」、それは一般の日本人の食べる行為を変えることを意味したが、この着眼点が成功の要因であると考えている。「米と魚」の食文化に「肉とパン」の新しい食文化を定着させることである。もちろん、日本人はすでに「肉とパン」の食文化を取り入れてはいたが、大量的大衆的食料の消費面において、手づかみ、路上での立ち食い、ハンバーガーという「肉とパン」のミックス食品の摂取は新しい「食文化」の輸入を意味していた。藤田商店と創業者の藤田田氏は徹底した輸入ブランド商品の意識で新しい食文化を導入する。それもアメリカのイメージで売ることを心がけた。

 

(2) 排外心理と拝外心理の二面性の活用

外来文化に対する日本人の態度には西洋崇拝のような拝外性と、外国のものを嫌う排外性とが同居している。藤田商店はこのことをよく知っていて、巧みに拝外性を排外性にならないように工夫した。「マクドナルド」も米語風に発言するのを避け、初めから日本語読みの3音区切りの「マクドナルド」(マクダーナルズではなく)に徹した。アメリカからの外来食品の新しい開放的なイメージと日本風の運営とをミックスしたイメージ作りである。

 

(3) 顧客層の設定

日本マクドナルドは、第一の顧客層としてアメリカでのように大衆低所得層の人気を狙うのではなく、あくまでも中産階級の所得上層から一般に広がる方向をターゲットに定めた。藤田商店が避けたのは、ハンバーガーが「安価で手頃」な「ジャンクフード」というイメージをもつことであり、可能な限りハイカラで高級舶来品のイメージを抱かせようとすることである。

この上方から一般へと言う戦略は、その最初の出店の選定において、マクドナルド社のアメリカのように「郊外のロードサイド」から始めるとの意見に対して、日本は「中心から」との戦略に立って、銀座4丁目の三越デパート前を選定した。70年当時の見方では、日本の消費文化の中心点は銀座4丁目にあるととらえられた。百貨店は高級で信頼のある品物を売り、時代の消費文化を先取りするところとの認識がまだ一般的であった。2号店は新宿駅前の二幸前であり、いずれも商業の最前線に出店してそれから周辺部へ広げていくという商法である。これは70年代において、マクドナルド・ハンバーガーを日本の消費者の間に浸透させるのに影響力のある方法であった。銀座の高級感と新宿の若者文化感を戦略基点としたわけであり、これは成功した。

 

 

 

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