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(8) 港湾庁の港湾整備計画の歴史

港湾庁の港湾整備計画については、それが管理する6つの港湾の役割を特化させ、稼働能力や施設、サービスの中身に特色を出している。港湾整備計画の経緯をまとめると以下のとおりである。

1964年4月、設立当初の港湾庁は2つのターミナル、すなわちケッペル、タンジョン・パガールを所有し、管理していた。両港とも在来型の一般カーゴとバルクカーゴを扱っていた。

1967年、港湾庁はタンジョン・パガールのコンテナ埠頭の建設に着手した。これは、海運市場の輸送サービスの変化と輸送貨物のコンテナ化に対応した結果であり、初めてのコンテナ埠頭が完成したのは1973年であった。国際輸送で急速に普及するコンテナ化と、輸送需要の順調な成長に促され、港湾庁はチャンギに大規模な港湾を建設する計画を立てた。しかし、長年月にわたる建設と莫大な建設費のため、1978年にこの計画を断念している。その代わり、港湾庁は10年の整備計画を策定し、タンジョン・パガール・ターミナルの生産性をあげるため、ケッペル埠頭の既存のコンテナ関連施設と在来型の施設を拡張することを定めた。この整備計画は1988年に終了し、ケッペル埠頭の6つの在来型埠頭を3つのコンテナ埠頭に転換し、上屋、開貨倉庫等が設けられた。その後、1990年にケッペル埠頭の2つの在来型埠頭をコンテナ・フィーダー港に転換した。

ジュロン港は、別の法定機関である経済開発機構(EDB: Economic Development Board)により、1963年3月から1965年11月にわたる整備計画のもとに建設された。ジュロン港は、ジュロン産業地域で活動する企業の輸出入を促進するために建設された。同港では、沿岸海上輸送、あるいは外航輸送によりバルクカーゴとブレークバルクカーゴを運んでいた。当初は、経済開発機構がジュロン港を所有していたが、その後ジュロン・タウン・コーポレーションに所有権を移した。一方、同港の管理は港湾庁が行い、ジュロン・タウン・コーポレーションから必要経費と管理料金を徴収していた。

1968年、テロック・アイヤー(Telok Ayer)の12ヘクタールの国有地が、港湾庁に99年間にわたり貸与された。これは、ケッペルとタンジョン・パガールに隣接するテロック・アイヤー係船ドックを建設するためである。1969年9月にフリー・トレード・ゾーン法が施行され、港湾庁の管轄域(テロック・アイヤー係船ドックを含む地域)とジュロン港内にフリー・トレード・ゾーンが設置された。フリー・トレード・ゾーンでは、輸出業者と輸入業者が、関税を支払うことなく一般カーゴを保管し、仕分け、再包装して再輸出することができる。

パシール・パンジャン埠頭の整備計画は、1972年から1983年まで12年間にわたり、2段階に分けて進められた。第1段階の開発のもと、パシール・パンジャン埠頭の供用は1974年11月に開始された。この時点で完成したのは、沿岸船舶用の上屋、倉庫、防波堤、はしけ運搬用の埠頭、繋留施設等であった。1976年11月、パシール・パンジャン埠頭でのはしけ運搬料金は、テロック・アイヤー係船ドックと同じに設定されたため、同港でのはしけ運搬が急増した。1979年4月に、外航船舶用の最初の埠頭が供用を開始した。パシール・パンジャン港整備計画の第2段階は、1980年末に完成した。このとき、3つのコンテナ埠頭と3つの沿岸輸送船用の埠頭などが整備された。

 

 

 

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