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(1)一般事情
 チュニジア共和国は、アフリカ大陸の地中海側の中央部に位置し、東はリビア、西はアルジェリアと国境を接している。
 チュニジアは、1956年にフランスから独立しており、国土面積は163,610k?(日本の約0.44倍)、人口は約909万人(96年央)で、首都をチュニス(人口59.67万人)におく。
 1984年からの年間人口増加率は1.7%とアラブ諸国の中では増加率は最も低い。
 1994年の15才以下の人口比率は36%で、10年前より4ポイント下っている。
 70年代から始まったチュニジアからヨーロッパ(主としてフランス)、リビア等への海外移民労働者の数は、現在61万人に及んでいる。
 人口の殆どは地中海のチュニスからスファクスまでに集中している。
 チュニジアの海岸線は1298?で、すべて地中海に面している。
 チュニジアは、東西に走るアトラス山脈によって北部と南部に分けられ、北部はさらに(1)コルク、樫、松などの森林地帯から成る北西部、(2)穀物地帯と牧草地帯から成る中央部、(3)穀物・果実地帯から成る北東部に細分される。
 南部は半乾燥地帯であり、(1)牧草地と乾燥農業地帯である中央高原、(2)オリーブ産地の海岸地方、(3)ナツメヤシの緑地帯と砂漠地帯などから成っている。
 チュニジアは、1956年にフランスから独立以来、西側諸国との協調を基本方針として維持してきている。1957年に共和制に移行しており、88年には政党法の改正による複数政党制の導入、憲法の改正などが実施され、民主化を精力的に推進してきている。
 イスラム原理主義運動を厳しく規制するとともに、93年に改正された選挙法に基づいて実施された94年の国民議会選挙においては、野党が現政権下においてはじめて議席を獲得するなど、民主化のプロセスが継続している。
 1957年以降、フランス、アメリカなどの西側諸国との協調を重視していたが、1987年以降は、それに並行してアラブ諸国との結び付きを強める動きがみられた。
 1989年にアラブ・マグレブ連合(AMU)がアルジェリア、モロッコ、リビア、モーリタニアの間で結成された。
 この関係で、1991年の湾岸戦争時には、チュニジアは難しい選択に迫られることになった。反イスラム原理派としての姿勢で国際協調の一端を担ったチュニジアは、1995年にNATOとの連合を結んでいる。
 チュニジアの反イスラム原理主義の姿勢は、西側にとって肯定的な評価を与え、1995年にはECとチュニジアとのパートナーシップ協定も結ばれている。
 チュニジアにとって欧州は最も重要なパートナーであり、貿易では4分の3、投資では3分の2、観光では5分の4以上の外貨収入を欧州連合から得ている。
 この欧州との強いつながりが、地中海経済圏を構築していく上で重要な役割を果たすものとみられている。
 チュニジア・ECパートナーシップ協定は、12年以内に自由貿易圏を作ることを前提に調定されている。
 同協定では、まず工業製品の関税が廃止され、農業、サービスについても水際規制が段階的に緩和されてる。
 また、貿易割当制度もすべて廃止され、欧州連合の国々に対し、チュニジア市場を保護している関税も撤廃される。
 この協定をもとに、チュニジアが開放的な市場経済を構築していく過程において、公共企業の民営化、生産コストの削減のための金融システム構築などの対策が必要となっている。
 チュニジアの経済は、1980年代に入り、外貨収入の柱である原油の生産低下、繊維産業の不振、農業の不振、干ばつなどの影響を受け、さらに90年の湾岸危機に伴う投資、観光収入、移民送金の減少により財政危機に直面したが、政府の迅速な対応に加え、91年8月以降のヨーロッパ観光客の増加や豊作に支えられて、現在は回復基調にある。
 貿易自由化政策の一環として90年にはGATTへの加入も実現し、また、95年にはチュニジア・ECパートナーシップ協定も調印している。
 また、1986年から国家管理経済から市場経済へと切替えるための構造調整経済計画が、国際通貨基金(IMF)の援助を得てたてられた。
 1995年までの同計画では、価格、貿易、金利、投資の自由化および財政、国営企業のリストラ、民営化促進、公的債務の低減が主目的であったが、この期間中において、ディナールのハードカレンシー化の実行、投資法の新規導入が図られ、雇用促進に向けて労働法の改善も行われている。
 国営企業の民営化は、交通、観光などの分野で50企業に対して行われた。
 1987〜92年の5年間の年平均経済成長率は5%であり、その前の5年間の年平均2.8%から向上しており、また、GDP投資率、貯蓄率もそれぞれ21.2%、20.4%と4ポイント近く上昇している。
 不作の年にも輸入自由化と財政政策によりインフレは抑えられ、93年のインフレ率は4%台にまで下がっている。
 チュニジアの経済は、近隣国に比べエネルギー資源が少ないにも係わらず、比較的安定している。
 国内総生産(GDP)では観光、交通、通信部門の比率が最も高く、22%台を維持している。
特に、観光による外貨収入は全体の20%を占め、政府も観光投資法を導入して観光を促進している。
 農業生産は不安定であり、輸出もしているが、その一方で食品国内消費の40%を輸入に依存している。
 しかし、干ばつによる農業不作(1993、95年)においても、インフレ率は年5%以内におさまっており、国民総生産(GNP)成長率も4%台を維持している。
 これは、製造業が着実に向上していることが背景にある。
 特に、製造業の3分の1を占める衣料、皮製品部門が大きく伸びている。
 なお、チュニジアでは中長期国家経済開発計画により、経済成長を推進している。

 

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