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ヌーヴォー・シルクのジャンルとは一線を画するかもしれないが、フランスの現代の新しいサーカスで特筆すべきはジンガロである。ジンガロは出馬だけを専門に見せる集団である。バルダバスという容貌魁偉な男が率いるこの集団は、人間と馬との長い歴史において、おそらくもっとも美しく幻想的な曲馬を創造したのではないかと思わせる。これは馬と人間とアートがひとつに昇華した、独自の美学にささえられた騎馬スペクタクルである。エチオピア、トルコ、グルジアあたりの民族音楽を効果的につかいながら、人馬一体の夢幻美を実現する。バルダバスが監督した映画『ジェリコー/マゼッパ伝説』は劇映画だが、この映画にはジンガロのパフォーマンスが随所に挿入されているので、この現代の神話的な集団の曲馬を見られる。

 

◎コンセプトをもった演出と構成の重要性◎

 

先に述べたように、二〇世紀末の今、わが国ではサーカスの数が極端に減ってしまったが、世界のあちこちに伝統的なサーカスは生きつづけている。それは欧米にかぎらない。韓国では、大きな四角いテントで公演しているふたつのサーカスを見た。そのテントの工法や、テントのなかに高舞台などをしつらえた構造は、かつての日本のサーカスと同じであろう。中国の雑技大会に出掛けたときには、移動のテント公演をしているサーカス団にいきあった。馬をたくさん引きつれ、テントのなかには円形の砂の馬場があった。客も砂の地面にべったり坐って見る。南インドでは、たくさんの種類の動物たちとともに国中をまわっているサーカス団に出会った。このサーカスでやった演目で忘れられないのは、巨大なカバがただ口を開けてリングを一周するだけ、という芸である。

このような家族経営を主体にする伝統的なサーカス団に対して、サーカス芸の訓練を受けた著者たちが集まって、ときにはベテランのサーカス芸人や演劇人や舞踊家を仲間にして、なにものに囚われない新しい表現を志向しているのがヌーヴォー・シルクである。何でもありだから、日頃の創意工夫と芸の訓練がすべてである。これに生活をかけて何年もやってゆくのは容易なことではないが、新しい舞踊・演劇・ファッション・美術・音楽・風俗などをとりいれながら、斬新なパフォーマンスを表出する。シルク・ドゥ・ソレイユや、 ヌーヴォー・シルクを嚆喘矢する新傾向のサーカス・グループからは、今や、伝統的なサーカス団もなんらかの影響を受けざるをえない状況にある。

伝統的であるか、家族経常のぬくもりがあるとか、巨大なスケールのサーカス団であるとか、そんなことは問題でなくなりつつある。高度に難しい芸ができるかどうかでさえも、現在はサーカスにとっての絶対的な問題ではない(もちろん、できるにこしたことはないが)。 難しい芸を陳列して、クラウンがそのつなぎをするという見せ方は、過去のものになってきているのだ。

より重要なことは、客がテントに入ってから出てゆくまで、テントのなかの時間と空間をどのようにトータルで充実した体験にできるのか-サーカスにおいてもこのようにしっかりとしたコンセプトをもった演出と構成の重要性が、前面に出てきたのである。芸人がつねにおのれの芸をより高度により美しくみがこうとするのは当然としても、そのひとつの芸だけではサーカスにならない。その芸とほかのすべての芸、そしてそれらの芸をつつみこみ統合する音楽や空間デザインとの連環的なコンテクストと環境づくりが問われている。

ヌーヴォー・シルクは、今、サーカスというメカニックでフェティッシュな楽園を自分のものにしつつある。この余波がどこまで広がってゆくのかはわからないが、アストレイ以来の近代サーカスの歴史に変容が起きつつあることは間違いない。伝統的なサーカスが持続している一方で、新しい世紀にむけて新たに身体に挑む者たちが、果敢で大胆な胎動をくりかえしている。

〈慶応義塾大学教授〉

 

 

 

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