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手稿『平地測量の道知る辺』

 

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一年志願兵時代の製図

 

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日食観測研究ノート『星のかずかずかぞへけぬ』(1887年8月)

 

二年半の在任期間には土器・石器の採集に興じ、教え子を引率して遺跡の発掘に出かけることもあった。新潟県三条で日本初の日蝕観測が行われると、これに参加して独自の観測記をまとめ、会津磐梯山が大噴火すると現地に赴き紀行文を書いたりと不羈奔放な日々を送った。

地方紙や中央の学術雑誌に教育論や史論を投稿するようになったのもこのころからで、一八八八年(明治二一)十月には那珂通世の紀年論を拠りどころにして対韓史を考証した「那珂氏の年代考によりて征韓の年次を証す」を雑誌『文』に発表している。

 

◎市島謙吉との出会い読売新聞記者時代◎

一八九○年(明治二十三)八月、東伍は北海道渡航のため、こつ然と養家をあとにした。二歳になったばかりの長女と妻を残したままの突飛な行動である。行き先や目的は誰にも告げず、しばらくは音信途絶の状態が続いた。

一時とは言え、消息不明となった養子をかかえた吉田家、縁者の困惑ぶりを当事者の一人として実弟の高橋義彦は「皆目不分明にて親類縁者は大に困却せり。まして令閨かつみ子氏の心労はいふばかりなし、遂には神仏の力を頼むといふ騒ぎに至れり。然れども君は一向平然たる模様にて、或時はその居所さへ明かならぬこともありき。今より察するにうるさしとて踪迹を晦ませるならん」(吉田東伍博士追懐録)と伝えている。

 

 

 

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