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成人難聴者中途失聴・難聴者)のリハビリテーション

-真の障害受容を目指して-

 

東京都心身障害者福祉センター

濱田豊彦

 

難聴者と一言で言うけれど

聴覚障害者の集いに出かけると、補聴器で会話をしている方もいれば、手話を使っている方、あるいは要約筆記を利用している方、読話を併用している方などコミュニケーション方法の多様さに驚かされます。この多様さは何によって生まれるのでしょうか。

その一つとして、聞こえの程度が大きく影響していることは明らかなことです。例えば、完全に失聴している方が補聴器だけで話を聞くと言うことは現実的ではありませんし、補聴器を使えば充分会話が可能な人同士が、手話だけで話すというのも自然ではありません。しかし、聞こえの程度はコミュニケーション方法を選択するにあたっての一つの因子であって、それだけでコミュニケーション方法が選択されるわけではありません。

同じ程度の聞こえでも、聴覚障害になってからの期間やコミュニケーションをする場面(会場や会話の相手)によって、その方法は異なってくるものなのです。静かなところで一人の相手と話すのなら補聴器をかければ充分という方が、騒音のあるところや会議などの複数での会話が困難だということはよくあることです。このように、一人ひとりが異なり、また、同じ人でも状況によってコミュニケーション方法が異なるということは、裏返せば、それぞれの難聴者が必要とするサポートもまた多様性に富んでいることを示しているのです。

ここでは、成人聴覚障害者、なかでも中途失聴者・難聴者(以下、難聴者)に対するリハビリテーションについて、障害の受容という観点から考えてみたいと思います。

 

難聴がもたらす悪循環

難聴があると、日常の場面でご近所の方から挨拶をされても聞きとれず、通り過ぎてしまうことがあります。この時、声をかけたご近所の方はどう思うでしょうか?「ああ、あの方は耳が遠いのだから、もっと気がつきやすい挨拶をしなくちゃ」などと思うでしょうか?たぶんそのようなことは期待しない方がよいでしょう。大概の人が難聴には気がつかず、あの人は「最近、愛想が悪くなった」とか「ぼんやりしている」という誤った評価をすることになると思います。

この場面に、難聴者の置かれる厳しい状況の一端が見られると思います。すなわち、聴覚障害の問題(挨拶に気がつかなかった)が人格の問題(愛想が悪い、ぼんやりしている)へとすり替えられてしまうのです。また、職場の同僚が当然知っている噂話(例えば、同僚の結婚話など)を、自分だけは知らないと言うことも少なくありません。そのため、疎外感に悩んだり、人間関係のこじれから時には職業継続の危機が訪れる場合もあるのです。

聴力が低下したというだけでも「治るのだろうか?」「もっと悪くなるのではないか?」「仕事は続けられるのか?」といったことで、情緒的には不安定になります。他人は「補聴器をつければいいじゃないか」と気楽に言いますが、補聴器に対する心理的抵抗感も決して弱く

 

 

 

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