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私が伺った2日後に亡くなられたのですから,本当に最後のお別れだと思われたのでしょう。そのときも何ということはないのです。行きましたら,向こうから手を出してきて「ああ,来てくれるとは思っていなかったけど,来てくれてありがとう」と言われました。私は「呼んでくれてどうもありがとう」と言って,ずっと手を握ったまま1時間ほど座っていました。Bさんは安心したようにうつらうつらしていました。奥さんは,誰かが来てくれたというので用事を足しに出かけて行って,病室には私と彼と,その愛犬が静かに座っているわけです。愛犬は家具の端にあごを載せて,ときどき上目で僕をじーっと見て,また目を伏せて寝ているのです。そこに加湿器の音などがしていて,静かで,私も何か非常に安らぎを覚えました。「こんな時間は,普段の自分になかなかないなあ」と思っていました。犬がときどき部屋を歩き回って,お見舞いの植木鉢の梅の蕾をカリカリ噛んだり,私をまたチラッと見てまた寝ている。そんな時間を1時間ぐらい過ごして,それでもうその人とはこの世でお別れしたわけですが,「来てくれてありがとう」と言われたことは,私は牧師として,Bさんがクリスチャンになるとかならないとかいうことは全然抜きに,深いところで私自身が祝福されていると感じられた経験でした。
 どうして死にいく人がこれほどのやさしさをもてるのだろうかと,私は改めて思いました。あとから考えたのですが,言葉数が多いとかということではなく,その人の言葉にこもっている暖かみと感謝とが私自身を癒してくれたのだと。私はそこでゆっくりくつろいでいましたので,そのゆっくり加減が私にも彼のからだにもいい作用をしたのではないかと思います。奥さんがお葬式で報告しておられましたが,私が帰った後に,何かすごく元気になって,その日は軽いものを食べてテレビまで見たと。それが亡くなる2日前のことでした。

 

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