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知的障害者福祉研究報告書
平成7年度調査報告  〜精神薄弱者福祉研究報告書〜


第3章 国内調査

1. わが国の地域生活援助の実践

視案研修のまとめ 〜小林寮長との懇談〜

日時:平成7年10月6日(金)9:40〜12:00 於:旭寮

今回の視察研修のまとめとして、わが国における知的障害福祉の現状と今後の展望などを含め、様々な問題について小林寮長と懇談を行った。

※●…小林寮長の発言 ○…視察研修参加者の発言

●パーソナルアシスタントの制度は1994年から実施されているが、これはデンマークのオウフツ市(デンマーク第2の都市)から始まる。ここでクロウさんという筋ジストロフィーの方が先頭に立って運動を始めた。
クロウさんは日本にも来たことがあり、「クロウさんの苦労話」(ぶどう社)という本も出している。
クロウさんの話では、施設にかける経費と同じ金額を個人にかけて、その個人がそれぞれアシスタントと契約を行うということである。例えば、入浴について日本では同性介助が通常であるが、デンマークでは男性の入浴介助を女性が行ったりする。つまりこれも契約ということで割り切られているのである。
そして、それがスウェーデンにもパーソナルアシスタントとして広がった。
それに対して日本では「障害者に使われる」という意識になってなじみにくい面がある。日本では「指導」という立場に立ちたがる傾向がある。
(小林寮長)

○障害を持つ人の地域生活を推進するために努力してきたスウェーデンの人の意識ほどのようなところに見られただろうか。
(宮森)

●日本の施設が気にかけるのがADLであるのに対して、スウェーデンではその人のQOLを中心にしている。
それは住む場所や活動の場ということである。
スウェーデンでは「本人の自己決定」、つまり障害を持つ人であってもあくまでも自分の人生として生きるという自立の概念がある。だから当事者組織の活動も非常に活発であるし、本人の意思を尊重するという考えが浸透しているのである
(小林寮長)

○障害を持つ人が自分たちの近隣で生活するということについて、スウェーデンの市民たちはどのような意識を持っていたと感じただろうか。
(宮森)

●スウェーデンは行政主導型で施策を進めていったので、いわゆる住民のボランティアによってまちづくりを進めたというスタイルではない。
グループホームについても一般の住宅施策の中にそれを組み込んで進めていったという形態である。
(小林寮長)

○今回、スウェーデンへ行って、地域生活援助システムを紹介するビデオを作成するわけであるが、それを見た日本の人が、「あれは、スウェーデンだからできることだ」というように感じられては困るという心配も抱いている。
(岸)

●考え方の違いということは、非常に大きくある。例えば東京と北海道では考え方が随分違う。
北海道はスウェーデンと比較的似ている面がある。それは例えばスウェーデンでそうであるように、北海道では障害を持つ人たちが親から離れて生活することは一般的なことである。北海道の高等養護学校は3年間の全寮制である。
北海道は施設整備率が日本で2番目に高い。1番高いのは成人の知的障害者のうち50%の人が入所施設に入っている秋田県である。これは東京から多くの人が入所しているという要因がある。
北海道の次は、青森県、鳥取県、長崎県、高知県と続くが、いずれにおいても40%を超えている。
スウェーデンでも親元から1度離して施設へ入れた。そして施設の質が低いということで、地域にグループホームを作ったという経緯がある。
ところが例えば東京都であれば、施設が作れなかったから、ずっと在宅で支えてきた。そして今度はその在宅の人たちのためにグループホームを作っていこうという流れであるから、ここでは入所施設を迂回することがない。
このことから、グループホームが良いのか親と暮らすのがよいのか、親もわからないのである。
東京の親御さんと話をしていて、気づくのは「親なきあと」の保証としてグループホームを考えている人が多い。「親ががんばれる間は、親と一緒に暮らして、どうしても見ることができなくなったときに施設にお願いしたい。しかし秋田や青森に離されるのであれば、近くにあるグループホームの方がよい」という考え方である。

人口1万人当たりの施設の入所定員は、第1位が秋田県で17.21、最低は東京都の1.71である。つまり施設整備率は秋田県と東京都では10倍以上の開きがある。北海道にはコロニーがあって、地域生活援助もあるからその対比として絶対施設へは戻りたくないという意識がある。
それに対して東京では施設へ入ったこともないし、グループホームを見たことがないという人もいる。
ビデオを見たときに北海道の人に比べて、東京の人は理解しにくという側面はあるかもしれない。
(小林寮長)

○東京には通所型の生活実習所はかなり多いが、そこから先のものがないために、親は非常に不安を感じている。
(小松)

●スウェーデンやデンマークでは「コミュニティケア」という概念がしっかり確立している。だから一定の人口エリアの中にどのくらいの障害者がいて、そのためにグループホームをどのように作っていけばよいのか、ということに従ってまちづくりが進められている。
デンマークでは、だいたい1万人を単位としてコミュニティを作っていく。そしてそれ以上の過疎過密はない。このように「地域」というものがあるからグループホームが作っていける。
伊達市のように35,000人のまちならば、ある程度システムも作りやすいが、東京の中でシステムを作るのは、かなり困難があると思う。できないということではなく、親たちが不安になるということもわかるのである。
文化の違いとなるとどうしようもない面がある。
もう1つは、「平等」という概念についてであるが、日本では平等ということはあり得ないんではないかと感じている。
教育においては「偏差値」という基準で、一定の差を子供の間につけていくことを続けていく。そういうことを進めていくと結局「強い人」が中心になっていくから弱い人は邪魔になっていく。だから例えば地域の中に障害者がいると秋田の施設へ入ってもらうということになる。
それは福祉を変えるという問題では済まない。国づくりの形態、思想が全く違うから、スウェーデンの地域生活を即日本に導入するということは、現実として非常に難しいのではないかと個人的には感じている。
生活大国、福祉大国という考え方は「競争」ではなく「共生」によって作られていくものであり、そこから「福祉」という概念は生まれてくる。

スウェーデンに行き、カールスルンドを見たときに、「日本でもやりたい」と思った。しかし日本には何も制度がないわけである。それでどうしたらできるんだろうと試行錯誤しながら伊達のまちで進めてきたのであるが、みなさんスウェーデンに行って感心するのは「建物」や「制度」面のことである。しかし、それでは自分たちでは手がでないということになる。
そうではなくて、ただまちの中に障害を持つ人の家があって、それをお世話する人がいる。またそれらはバラバラではなく、つないでいけばよいのだということがわかった。それで伊達ではスウェーデンのように立派な建物は作れないが、ごくふつうの家を借りて、またお世話する人は制度がないために身分保障はできないが、パートで勤務してもらうという形態で進めてきた。
このようなものを数多く作ると、「選ぶ」ことができるようになるわけである。障害者が100人いれば、100名定員の生活の場を1ヵ所作るのではなくて、4名の住居を25ヵ所作って選べるようにしたのである。
「学ぶ」ということの基は「まねる」ということだが、日本と全く文化や地域特性の違うスウェーデンのまねはできない。だから日本の特性に合わせたオリジナリティーや創造性が、その考え方や思想に求められるのである。
自己決定とは選ぶものがあって初めて選択することができる。
今、日本においても当事者の組織づくりが盛んになっているが、本人たちが結婚したい、アパートで生活したいということを言っても、実際には彼らの夢や希望が実現できる環境は整っていないのである。

(小林寮長)

○この伊達のまちには、多くの自治体、団体などが視察に来ているが、このようなシステムを自分たちの地域で実践しているところはどのくらいあるのだろうか。
(岸)

●私たちは、伊達の方法が必ずしもベストだとは思っていない。
35,000人のまちに200人の人たちが住めるのであれば、人口10,000人のまちなら1、2ヵ所のグループホームは簡単にできるんではないかと感じてもらうことに意味がある。

(小林寮長)

○就労しながら、まちの中で暮らしていく場合に年齢を重ね肉体が衰えてきたときにはどうなるのだろうか。
(岸)

●私たちが目指しているのは「緩やかなリタイヤ」である。
私たちは肉体の衰えと共に、部署も変わっていく。それに対して彼らはいつも最前線で働くことが要求される。
だから40歳、50歳になるとどうしても体の具合も悪くなり、正雇用から準雇用に変わってしまう。そのために私たちが力を入れているのは作業所づくりである。
そして作業所でも働けなくなった場合には、スウェーデンにあるようなデイアクティビティセンターを利用できるようにしたい。

ラーセボナンデルさんというスウェーデンの地域福祉推進の中核になった行政官が以前伊達のまちに来た。
そのとき私たちは、「伊達のまちではこんなに多くの人たちが企業で働いている」ということを見てもらおうと思って、いろいろな事業所に案内した。
そうしたときにラーセボナンデルさんから発せられた質問は、「この人達はどのようなところで暮らしているのか。」、「結婚しているのか。」、「セックスの問題はどうなっているのか。」ということばかりであった。
スウェーデンの人にとっては、人生の質という観点で見た場合に「働いているか、働いていないか」ということはあまり価値がないのである。
スウェーデンでは、所得保障の考え方が完全に定着しているので生活に不自由のないだけの収入は保証されている。働けば、その分だけ減額されるから、働いても働かなくても収入の面では同じなのである。
それで一般企業で働くことが、あまり価値がなくなるから、デイセンターの中で、焼き物や陶芸を行っているのである。
「工房くれよん」もその形態を目指しているものだが、あくまでもお金を得ることが目的ではなくて、自己実現がその目的となっているのである。
(小林寮長)

●障害者基礎年金は「健康で文化的な最低限度の生活」に基づいた生活保護よりも金額は低い。だから年金だけでは暮らせない。
また就労でいえば、最低賃金も生活保護よりも低い。スウェーデンのように「所得保証」ということでなんとか一本化されないかと感じている。
(小林寮長)

○企業で働いている人たちを見ていて、働くことに喜びを感じているなということを強く感じた。
(仁木)

●スウェーデンでは「選択性」が重要視されていて、企業で働ける人であっても本人が作業所に行きたいと希望すれば、それは1つの選択になる。
また、以前聞いた話で、デンマークの比較的障害は軽い人なのだが、企業で働くよりも勉強をしたいということで英語の学校に通っているという人の話も聞いたことがある。
しかし、やはり日本では、そのようなことは実態として当てはまらないと思う。働ける人は働くということが大事であると思う。

スウェーデンでは障害を持つ人も持たない人も同じまちの中で生活しているが、それではどのくらいそれらの人たちが日常生活で交流しているかというと、そんなには交流はないのである。
伊達のまちが彼らにとって住みやすいのは仲間が多いという側面がある。
差別ということではなく、知的水準があまりに違うと相性が合わないということもあるのである。
(小林寮長)

○先日グループホームを訪問したときに、「共同生活をしていていく上で、できる人ができない人に対して、どうしても冷たくなってしまう面がある。しかし間に入ってくれる人がいるおかげで、なんとか生活のテンポが乱れないで、いい関係が保てている。彼女たちが施設に戻りたくないというのは、グループホームの方が生活の質が上だという意識があるのだろう」というお話を世話人さんから伺った。
(宮森)

●施設の中では、食事でも何でも職員が全てやってくれるし、暖かいし何の心配もない。それに対して、園内の生活実習所である元の職員住宅で生活すると、まず寒い。それでストーブは自分でつけなければいけないし、食事も自分で温めなければならず、施設に比べると非常に大変である。しかし彼らにとっては、そこでの生活の方がよいのである。何故、こちらの方がよいのか尋ねると「ここは静かだから」という言葉が返ってきた。私は20人の共同生活から4人の生活になったことによるものだと思ったのだが、そうではなくて「職員がいないから静かだ」ということであった。職員からすれば、家庭的になって共に生きるという感情を持っていても、利用者からすると、いつでも職員の目が光っているというように映っていたのである。

グループホームにおいて、できる人とできない人がいる場合、どうしてもできる人が支配的になるという構図はある。最終的には彼らは他人同士であり疑似家族にはなり得ないのである。

「選択」という理念が掲げられる以前は「自立」という理念が掲げられていた。自立とは、施設からの社会復帰を目指そうというものである。社会復帰については2つの視点がある。1つは施設を社会資源の1つと見るかどうかということ。今の日本の考え方として厚生省は、「地域福祉とは在宅サービスと施設サービスの均衡ある両輪」と言っている。そこでは施設も地域福祉の1つであるという考え方である。
もう1つはスウェーデンで言われているように、「地域福祉とは施設を必要としない福祉」という考え方である。このように日本とスウェーデンでのそれは、対立概念になっているのである。
このように日本では全く欧米と違う地域福祉観、ノーマライゼーションの考え方を持っているのである。
(小林寮長)

○以前、アメリカのあるグループホームを訪問したときに、「仲間と相性が合わない」、「部屋が狭い」という理由で別のところに移りたいと要求していた利用者のために援助者が一生懸命、移る先を探していた。
一般の場合でも、1つかなえられると次の要望がでてくるが、なかなか実現できない面もある。その辺りの感覚は伊達のまちにおいても当てはまるのだろうか。
(宮森)

●伊達のまちで非常に大切にしているのは「個別援助」ということである。グループホームであっても個別援助なのである。
グループというのは必ずしもふつうの暮らしではないから、そこを出たいという人がいればアパートを探すし、いつでも移れるような状態にしている。
(小林寮長)

●スウェーデンの世話人が、それで生計を立てている職員であるのに対して日本の世話人はみんな主婦のパートである。
どちらがよいのかと考えたときに、私は日本の世話人さんもすてたものではないと思っている。グループホームとはふつうの生活を目指すものであるから、世話人もふつうの主婦でよいと思う。専門職である必要はない。ただ、それをバックアップする、建物や保険等に精通している専門職員は必要である。世話人まで専門職になってしまうと、どうしても窮屈な状態になってしまう。
(小林寮長)

○世話人である主婦の方からは「人権」や「自己決定」、「QOL」という言葉は出てこない。しかし、「どっちがいいのかなぁ」、「押しつけているのかなぁ」といった言葉は、それらと同じ意味を表していると感じた。
(宮森)

●世話人さんを選ぶ基準は「人柄」である。
伊達のまちでは援助スタッフとして49人の人たちがいるが、これらの人たちは障害を持つ人を支えたいと希望してくれている人たちである。そして、われわれは協力を希望してくれる人たちの事情に合わせて仕事を依頼している。
職場まで自分では通えない人のために、朝夕車で送り迎えをしてもらっているのは薬局のご主人である。その間の薬局の仕事は奥さんに任せている。
協力してくれる人に合わせた仕組みでシステムを作っているのは、伊達のまち独特の仕組みである。スウェーデンではこのようなシステムはない。

今非常に困っているのは、世話人さんとして主婦の方に働いてもらっているわけだが、一定度の収入があった場合に、扶養や税金の問題がでてくる。120〜170万円の幅を超えると扶養手当が切られてしまうため、そのような人たちは200万円を超えないと不利益になってしまう。
その辺が私たちにとって非常につらいところである。

日本の世話人さんの平均年齢は49.7歳である。そのうち60歳以上の人たちが占める割合は22.7%、70歳以上の人は4.4%となっている。最高齢は77歳である。日本における世話人さんは、若い人ではなく、子離れした主婦層である。若い人が生計を立てられるだけの人件費は制度がないために確保できない。また逆にいえば60歳を過ぎて定年になった人でも働ける仕事であると思う。これは日本の特色である。
(小林寮長)

○この知的障害者福祉の研究会が発足された当初、主催者である船舶振興会の方から「知的障害者の文化の創造をして欲しい」という要請をお受けした。先生のお話の中にも先ほどから「文化」という言葉が出てきたが、知的な障害を持つ人の文化とはどのようなことだとお考えになるだろうか。
(宮森)

●マイノリティとマジョリティ、つまり少数派と多数派という問題があって、例えば北海道ではアイヌの人たちの文化はなかなか認められなかった。少数はいつも苦しい思いをしてきた。
障害者も少数派であるから、健常者と障害者ということで分類されると障害者は苦しいところに追いやられる。そのようなところから少数派が持つ異文化を大切にしたいということが1つ。
もう一方は、レベルの問題ということ。つまり高学歴の人と知的障害を持つ人の間では、生活様式に対する感じ方が違うということがある。私はそのような意味で文化という言葉を使った。

施設をなくしていこうとする場合には、同時にその受け皿を整備していかなければならない。
地域生活を進めていくために必要なのは、?@グループホーム、?Aデイセンター、?B地域生活支援センターの3点セットである。
われわれは、地域生活の援助スタッフとして例えば、「あの先生は来年定年を迎える」など、協力してくれそうな人材に常に注目している。
今後、知的障害を持つ人の地域生活を進めていく際において、先進的な取組となるのは、グループホームをばらばらに作っていくのではなく、それらを直接に支援していく「地域生活支援センター」の設置が最も必要性のあることだと感じている。
そして、スウェーデンなど福祉先進国の方法をそのまま取り入れるのではなく、あくまでも日本の実態に合わせて、「日本流」にアレンジしたシステムの確立が必要であろう。
(小林寮長)

以 上



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