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知的障害者福祉研究報告書
平成7年度調査報告  〜精神薄弱者福祉研究報告書〜


第3章 国内調査

1. わが国の地域生活援助の実践

伊達市の地域生活援助の概況 No.2

■地域生活者の数と援助の状況



●地域援助センター
183名の人たちを旭寮において援助しているわけであるが、そのうち地域のグループホーム等で生活する163名の人たちについては、「地域援助センター」で支援を行っている。しかしこのような「援助センター」の制度が、日本にはまだない。
北海道と国から、旭寮に事業費をつけて貰っているが、金額は地域援助センター職員の1人の人件費にも満たない。われわれとして特に力を入れているのは、そのような援助センターを制度化して欲しいということである。
そのようなものが形作られなければ、これ以上わが国では地域福祉は進んでいかないと感じている。
元々、旭寮とは、20名の人が入寮してその人たちを指導訓練する寮であり、163名への援助というのは、+αの部分で活動しているわけである。

●地域住居整備の考え方
いろんな住居を数多く作っていくように努力している。QOL(クオリティーオブライフ)を考えたときに「選択」と「自己決定」ということが、近年大きく取り上げられている。
しかし選ぶためには、選ぶものがないと選べない。施設しかないということでは選べないわけである。
それで私たちは、共同住居や、ひとりで暮らすアパート、結婚してカップルで暮らせる住居、というように多くの選択肢を作ろうとした。
わが国のグループホームは、国の制度のものだけで760ヵ所ある。そして、それをバックアップしている施設は371である。
ところがグループホームを一つしか持たないバックアップ施設が全体の6割を占めている。1つしかないということはいったん4人で一緒に暮らすと、ずっとその4人で暮らし続けなければならない。世話人さんや他の入居者と相性が悪くても我慢して暮らさなければならないということになる。
このようにグループホームがあっても数を沢山作らないと選べる人生にはならないのである。

■伊達市における住戸形態別の戸数と入居者数



●施設も選択肢の1つとなるか
スウェーデンの地域福祉計画を具体的に進めたラーセボナンデルさんとシンポジウムで一緒になった時に、「施設で暮らしたいという人もいるのだから、スウェーデンで施設を全てなくしてしまっては、選択肢を一つ減らすことになるのではないか。」という話をした。
それに対してラーセボナンデルさんは、「スウェーデンでは46%までの人が施設に入っていたわけであるが、施設も選択肢の1つという理論で進めると、それならこれらの施設はこのまま残しておいてよいのではないかということになり、地域福祉という方向では進まない。最終的に施設が残る部分があったとしても、施設を肯定するという立場には立てない」と仰っていた。

スウェーデンでも最初は、施設内ノーマライゼーションとして、施設の中でのノーマライゼーションを目指したわけであるが、30〜50人の施設となるとまちの中にはつくれず、郊外の人里離れたところにしかつくれない。
また30〜50人という集団生活であるからどうしても規則が多くなってしまう。
50人の中には、障害の重い人も軽い人もいるのに、全ての人がみんな一緒の生活を強いられることになる。それなら5人のグループホームを10戸作った方が、選ぶことができるようになるのである。
このようにスウェーデンでは、施設内ノーマライゼーションの限界にあたって、はっきりと政策を変えて地域生活援助へと切り替えていったのである。

●年齢の状況
伊達のまちの中で暮らしている知的障害を持つ人の年齢は、30〜40代の人が6割を占めている。30〜40代の人のうち多くは10年〜15年ずっと施設にいて、ノーマライゼーションの理念よって施設から出てこれた人たちである。
もう一つ地域生活に寄与したのは年金である。昭和61年度から障害者基礎年金が大幅に上がった。今までは一般企業で働いて給料の高い人しか地域で暮らせなかったが、これによって障害の重い人たちも所得面では地域で暮らせるようになった。
そうして長く施設に入っていた人も地域の中に出てこれるようになった。

■年齢の状況



●就労の状況
伊達のまちの中で暮らしている214名のうち、76.2%の人が何らかの形で企業に就労している。福祉的な就労は全体の18.7%である。
福祉的就労の中には太陽の園の20名の通所授産施設が含まれている。ふつう通所授産施設というと、親元から通うというイメージがあるが、昭和63年に開設した太陽の園の通所授産施設は、それとは違い、グループホームから通うというものである。10年ほど前には厚生省にもグループホームから通所するという考え方はなかった。しかし、企業では働けないが、まちに出たいという人がまちに出て、今までどおり施設の作業に通うという考え方をどうしてもシステム化したくて開設を目指したのであった。
スウェーデンなどでは当たり前の考え方であるが、日本では通所というと親元から通うものだという考え方が強く、道庁や厚生省と様々な協議の末、2年かけてやっと開設にたどり着いたものである。

■就労の状況



●地域住居の推進
昭和53年に初めての地域住居を開設して以来、多くの地域住居を整備してきたわけであるが、最初はすべて世話人さんが同居するという形態でスタートした。
最初はわれわれも親も本人も不安であり、特に近隣の地域の人たちが一番不安を感じていた。
そのうちにやればできるということが徐々にわかってきて、世話人さんの勤務形態も通いになっていった。
最近多いのは、結婚してカップルになって住居を開設する例である。
今まちの中で働きながらアパートで生活している人は、みんな結婚したい気持ちを持っている。
昨年でも5組の人たちが結婚している。

伊達市では昭和53年に初めてのグループホームを開設したわけであるが、このときは国の制度も北海道の制度もなかった。無認可で作って、何とか制度を作って欲しいと働きかけてきたのであった。昭和53年に開設した栄寮は、その6年後に北海道から追認されている。

私たちは制度があってもなくても、必要ならば作っていくというスタンスであった。
伊達市には平成6年に10ヵ所の地域住居が開設されたが、予算の枠があって、国の認可を受けられるのは1ヵ所程度である。

日本はノーマライゼーションの理念を大きく取り上げているが、施設中心の施策の進め方は依然変わっていない。
スウェーデンでは、グループホームが3に対して施設が1の割合である。それに対して日本では、グループホームが1に対して施設が20の割合である。
お金もグループホームにつくのが6万円程度なのに対して、施設には24万円の措置費が出ている。
地域福祉を進めるといいながら、1/4のコストしかかけていないのである。
決定的なことは、日本ではシステムにお金を出す仕組みがないことである。
建物に人とお金がつくという仕組みになっているので、大きな建物を作らないと、人も確保できないし、お金もつかないのである。



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