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知的障害者福祉研究報告書
平成7年度調査報告  〜精神薄弱者福祉研究報告書〜


第3章 国内調査

1. わが国の地域生活援助の実践

伊達市の地域生活援助の概況 No.1

〜スウェーデンにおける流れをふまえて〜

説明:小林繁市氏(「伊達市立通勤センター旭寮」寮長)
日時:平成7年10月4日(火) 13:40〜15:00 於:旭寮

●ノーマライゼーションの理念
日本以外の先進国は、だいたいスウェーデンのような地域生活への流れになってきている。それは、施設中心の福祉から、地域福祉へという流れである。
ノーマライゼーションにはいろいろな理念があるが、ノーマルな状態とは障害を持つ人も持たない人も同じ市民として、まちの中で暮らしていくということである。
今までは、障害を持つ人に対しては、施設をつくって地域と分離してきた。
施設の中に分離してきた障害を持つ人たちも、一緒にまちの中で暮らしていけるような仕組みをつくっていこうとすることがノーマライゼーションの基本的な理念である。

●スウェーデンにおける居住施設の状況
スウェーデンにおいては、21年前の段階で障害者の統計がしっかりできていた。
障害を持っている人たちが、どこに住んでいるか等の把握がその頃既にできていたのである。
デンマークやノルウェーも進んでいるが、このような統計はまだこの頃なかった。この頃の日本では、知的障害を持つ人たちの実態調査すらできなかったのだが、それは「かくす」という風潮のために、調査をするというとむしろ親御さんの方から、「プライバシーの侵害である」ということが言われたためである。

○1974年
1974年当時、スウェーデンの成人を過ぎた知的障害を持つ人のうち、35%の人が親や家族と生活をしていた。
入所施設については46.6%と2人に1人の割合で入所施設を利用していたのだが、「ノーマライゼーション」の理念の普及に伴って、障害を持っていても、持たない人と同じような生活様式に限りなく近づけていこうという考えによって、施設中心の考え方は崩れていった。

○1992年
1992年のスウェーデンにおいて、「両親家族との同居」の割合は18%で、74年当時に比べると約半分の割合になった。
アパートなどの自分の家で暮らす人は、74年の12.4%から16%と少し増えている。これは、障害の軽い人に限られるので、そんなに分布は増えていない。
グループホームで生活している人は、74年の6.9%から92年には44%と大幅に増加している。このようにスウェーデンでは知的障害を持つ人のうち、およそ2人に1人の割合でグループホームを利用しているのである。
逆に入所施設の利用は、74年の46.6%から92年には16%と1/3に減少している。
スウェーデンでは1994年に「LSS」の制定によって、各市町村は施設を閉鎖して、地域生活援助に切り替えるための福祉計画を提出することが法律化されている。
アパートなどの自分の家で暮らしている人と、グループホームで生活している人を合わせると60%になり、3人に2人は親からも施設からも離れて生活していることになる。

■スウェーデンにおける居住施設の状況





●日中の活動の場(就労について)
これまでは、施設の中に働く場もあるし、生活の場もあるし、お世話する人もいるという、「24時間丸抱え」の形態が中心であった。しかし現在のスウェーデンでは、住むところはグループホームが中心となって、働くところはデイセンターが中心となっている。
日本で、グループホームを利用している人はその多くが一般企業で働いているが、スウェーデンではそうではなくて、日本でいうところの通所施設や地域共同作業所、あるいはまだ日本にはないが障害の非常に重い人が利用する、デイアクティビティセンター等へ日中は通っている。
職住分離として住むところと働くところを分けているのである。働くということでいえば、日本では年金だけでは暮らせないので、一般企業で働いて給与を貰うことができる人だけが地域に住める。日本のグループホームの制度では、就労が条件になっている。
スウェーデンでは就労している人は1.5%程度である。スウェーデンでは、外国人労働者や主婦などの進出があり、日本ほど障害を持っている人が職を得られない。
日本は、一般の企業で働いている障害を持つ人の数が世界一多い国である。例えば養護学校の高等部の40%は一般企業に就労している。
日本には、乳児から高齢者も含めて38万人の知的障害を持つ人がいるが、そのうち5人以上の企業で働いている人たちだけでも6万人いる。障害者全体の16%が5人以上の企業で働いている状況である。このように日本では、非常に多くの障害者が企業で働いているわけである。
その為の制度を日本ではいろいろ制定しているわけであるが、逆に言うと働けない人は地域で暮らせないということになっているわけである。

●スウェーデンにおける地域生活支援システムと日本の仕組み
スウェーデンには住むところであるグループホームと通うところであるデイセンターともう1つ、日本には制度がないが、地域援助センターというものがある。
これらが地域生活支援の3点セットとして、施設を閉鎖していくためのシステムに切り替えているわけである。
日本では、施設であれば更生施設があるが、50歳になっても60歳になっても入所している人たちが「更生」という名の下に指導や訓練を受け続ける仕組みになっている。
日本に約40万人いる知的障害を持つ人のうち、施設に入っている人は約10万人で、そのうち社会復帰できる人は、昨年の統計では0.9%である。100人に1人ぐらいしか出られなくて、あとの99人の人は施設に残って訓練を受けつづけるというのが日本の制度の仕組みである。よほど障害の軽い人でないと施設を出ていけないという結果になっているのである。

スウェーデンでは1974年に入所施設に入っている46.6%の人が18年たって16%となった。つまり1万人いた人が3,000人になったのであるが、施設を出た7,000人の人たちは、日本でいう自立の概念ではくくれない人たちである。
できないことができるようになって出ていったのではなくて、施設の中で支えていたものを地域の中で支えていくという仕組みに替えたのである。このような状況が、スウェーデンをはじめとして「ノーマライゼーション」を目指している国の実態なのである。

●太陽の園.旭寮の理念
われわれのポリシーは、「施設を出てまちに暮らす」ということである。この理念はパンフレットにも、ぶどう社から出版している本においても統一している。
この本のことでいうと、その副題は「知的障害を持つ人たちの地域生活援助の実際」であるが、出版社から最初に要請があったときには、これとは主旨が違っていた。それは施設の中で訓練をしてまちの中に出るためには、いかに本人に力をつけるかという主旨で本を書いて欲しいということだったのである。
例えば食事の指導だとか、生活指導であるとか、体力づくりとかそういった自立プログラムについて書いたのだが、やっているうちにだんだん疑問が出てきて、その主旨を変更して書き直したのであった。それは例えば、伊達のまちで暮らすのに必要な力を10とすると、訓練して10の力をつけようというのが最初の要請であったが、そうではなくて10の力が必要なら、8の力がある人には2の力の援助を、5の力のある人には5の力を支援するということで、たとえ10の力がつかなくてもまちの中で暮らせるようにしていこうという主旨である。これが地域生活援助の意味なのである。

施設の中でできるようになってから地域に送り出すのではない。障害の重い人たちはどんなに教育や訓練をしても障害がなくなるわけではないのである。だからありのままに障害のある人も地域の中で暮らせるように支援を行っていくわけである。
ノーマライゼーションとは、これまでの「ADL」という名のもとに「障害をなおしていく」という考え方ではなく、障害も1つの個性としてありのままにふつうに地域で暮らせるようにしていこうという考え方である。伊達ではそういう考え方を取り入れているわけである。

●伊達市の状況
伊達市は人口35,000人の小さなまちであるが、そこに800人ぐらいの知的障害を持つ人たちが暮らしている。ふつう人口比でいうと1,000人に3人ぐらいであるから、35,000人のまちというと乳児から高齢者まで含めてだいたい100人ぐらいのところである。
しかし伊達市の場合は、その8倍の人たちがわれわれの支援対象の中にいる。これは、沢山集まってきた結果といえるのだが、集まるからといって、閉め出すのはもちろんノーマルではない。逆に集まりすぎるのも本来はノーマルな形ではない。
ふつうの状況とはいえないが、他のところで遅れている分だけこのまちに集まってくるという状況がある。

●コロニーとノーマライゼーション
「太陽の園」には400人の人たちが住んでいるが、ここは日本で最初の公立のコロニーである。昭和43年5月に開設した。それから一月遅れで愛知県コロニーや長野県のコロニーが開設した。
コロニーというのは、ノーマライゼーションとは全く逆の考え方で、「障害を持つ人が、競争社会である一般社会において、健常者と呼ばれる人たちの中で生きていくのはたいへんであり、残酷なことなのではないか。特別に保護された環境が必要なのではないか。」そのような考え方から欧米、例えばスウェーデンなどでは、1900年頃からコロニーがどんどん作られた。

太陽の園の敷地面積は106ヘクタールある。1つの山が全部敷地なのである。
その106ヘクタールの土地を切り開いて、400名の障害を持つ人たちのための施設を作って入所させた。
そこには当時120名の職員がいて、「共に生きる」という考え方のもとに、一つの生活共同体を作ろうとしていた。障害を持つ人たちのユートピアを作ろうとしたのである。
そのような考え方からコロニーがスタートしたわけだが、昭和43年に太陽の園ができて以来、昭和45年から昭和54年にかけて国立のコロニーが作られていった。
昭和56年から「国際障害者年」が始まり、ノーマライゼーションという理念が出てきた。それで「コロニーは悪だ」という考え方が出てきて、コロニーは作られなくなる。
コロニーが障害を持つ人たちだけが集まって、小さな村を作ろうという考え方であるのに対して、ノーマライゼーションとは障害のある人もない人も同じ地域の中で暮らしていこうとする考え方である。

●高等養護学校
わが国では北海道だけなのであるが、養護学校に高等部がない。
「高等養護学校」として独立しているのである。そして全部職業科で普通科はない。
それから全寮制である。必ず3年間は寄宿舎に入って親から離れたもとで訓練を受けるという仕組みである。ここは1クラス9名が6クラスで54名の生徒たちが在籍している。3学年で150名近くの人たちが高等養護学校に在籍している。

●旭寮を中心とした地域住居
旭寮は通勤センターとして20名の人たちが利用している。原則として2年間ここから職場へ通って、将来アパートやグループホームで暮らせるように訓練を受けるわけである。
また伊達市にはこの旭寮を中心として、計67の地域住居で障害を持つ人たちが暮らしている。
スウェーデンなどでは、できるだけ地域の中に点在化させようという考え方であるが、伊達市の場合は、やむおえず伊達を中心に固まっているという状況である。
しかし旭寮は駅から800メートルぐらいで、まちの真ん中に位置しており、障害を持っていても、まちのはずれではなく、ど真ん中で市民と隣り合わせて暮らしているのである。

■伊達市内位居図マップ



●スウェーデンにおける施設解体と日本の現状
私が10年ほど前にスウェーデンを訪れたときにカールスルンドは解体されてなくなっていたが、その当時入所者は82名いた。一番多いときで525名の入所者がいたところである。
私が行った当時は、3つのプログラムに取り組んでいた。まず残っている人たちをどうやって地域の中に出していくか、そして職員をどう配転するか、跡地利用をどうするかということである。
カールスルンドでは最多時525名の人たちがいて、それが1990年にはなくなったわけであるが、それに対して日本では制度ができていないので、例えば伊達市ではグループホームで生活している人が200名いる。そのうちの83%は太陽の園から出てきた人たちなので、出る人がいれば減るはずなのであるが、それに応じて新たに入所してくる人たちがいるわけである。
日本では、地域生活支援というプログラムが中心になっていないから、例えば太陽の園に入ることを希望している人たちがいる限り定員を落とすことはできないのである。

●「見えなければ思うことはない」
デンマークのノーマライゼーションを言い表している言葉の中に「見えなければ思うことはない」というものがある。障害を持つ人が地域で暮らしている間は、行政も地域の中で支えようとするが、1回施設の中に入ると、それで終わったという感じになってしまう。
つまりその人たちを再び地域の中で受け入れようとする努力をしなくなってしまうのである。
太陽の園では、最初全道域から受け入れていたが、入った人が、再び生まれ育った地域で受け入れる体制を整える努力を市町村がしないので、そういう人たちの社会参加を促進するためには、伊達のまちに出ていくしかなかった。

●まち全体に広げた理念
北海道でコロニーを作った当初、2つの理念があった。1つは「一生涯にわたる援助」をすること、もう1つは「共に生きる」という理念であった。
伊達のまちに障害を持つ人をどんどん出していくときに、親たちから「一生涯面倒を見てくれるということで施設に入れたのに、どうしてわざわざ地域の中に出すのだ。失敗したらどうするんだ」という懸念が多く上った。それで、施設にいても、通勤寮にいても、グループホームにいても、親といても、一生涯の援助を約束しましょうと、当初の理念を伊達市全体に広げたのだった。
また「共に生きる」ということも、施設の中で特定の理解ある職員と生きるのではなくて、まちの中で市民と共に生きるというように理念を広げたのである。
どこに住んでいても、お世話するし、お世話するのも特定の職員だけではない。市民と共に生きることができるまちを作っていこうというものであった。

●地域生活者の数と援助の状況
現在214名の人たちが地域の中で暮らしている。そのうち、31名は太陽の園がアフターケアをしている。
そして残りの183名を旭寮が支援を行っている。
太陽の園がアフターケアをするというのは、太陽の園は卒園したとしても生涯にわたってお世話していくという考え方である。
私は眼鏡をかけているが、この眼鏡があるからみなさんの顔を見ることもできるし、車の運転もできる。であるからこの眼鏡は一生外せない。
同じように、知的障害を持つ人においてもどんなに教育しても障害がなくなるということはない。私の視力の度数が変わるように、援助の必要度は変わるかもしれないが、一生涯にわたって援助は必要なのである。
ところが日本の制度では、施設や学校にいる間はそこにお金や人がつくが、そこを出た後には何も制度がない。後は自分の力で生きなさい、それが自立なんだという仕組みである。
目の悪い人に眼鏡をかけないで車を運転しなさいというのと同じで、何の援助もなければ、しょっちゅう事故は起きる。そうすると事故が起きるくらいなら施設に入れておいた方が良いということになってしまう。



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