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知的障害者福祉研究報告書
平成7年度調査報告  〜精神薄弱者福祉研究報告書〜


第2章 ビデオ制作関連調査―ワーキング議事録―

2. スウェーデンにおける知的障害者サービス

―スカーラボルイ県の改革から― No.1

講師:三田 優子氏(愛知県心身障害者コロニー発達障害研究所社会福祉学部 研究員)

2. スウェーデンにおける知的障害者サービス

●スウェーデンの概要

スウェーデンの総人口は、約866万人(1992年)で大阪府の総人口とほぼ同程度である。一方、面積は日本の1.2倍である。
通貨は、1スウェーデンクローネが日本円で12〜14円程度である。
スウェーデンは、政治的形態が日本とはだいぶ違い、また投票率も90%以下になることはまずない。議員の4割近くは女性が占めている。

●スカーラボルイ県の概要

スカーラボルイ県の人口は、約28万人で、愛知県の春日井市とほぼ同じくらい。
スウェーデンには27の県があり、そのうちの一つである。スカーラボルイ県は17の市町村から構成されている。ここには「ヨハネスベルイ」という、古く伝統のある施設があった。ヨハネスベルイは、一時期650人の入所者を抱えたこともあるスウェーデン国内で最大の施設であったが、それが今では閉鎖されている。

●住むところ、昼間過ごすところを確保する

スウェーデンでは、住むところと昼間過ごすところを確保するということをサービスの大きな柱としている。
住む場所というのも、「建物」のことではなく、暮らしやすさ、入居者を主体にしたもので、それぞれの個性を大切にした住居となっている。
建物が始めにあって、そこに入居したのではなくて、入居者に合わせた家を作ったり、改築したりしているのである。

昼間いる場所は、日本の作業所とは多少異なっている。一番大きな違いは、生活費のために作業をするところではないということである。このことから強制されたり、急がされたりすることはない。
本人がやりたいことができる場所に、行けるようにしてあげて、その場所がセンターとしての実体はないが、その機能を果たす場所となっているのである。

地域で暮らすという観点から見ると、グループホームとデイリー・アクティビティセンターの間には、次のような共通点がある。

?@権利擁護の精神が貫かれていること
?Aメディカルモデル、あるいは専門家モデルは存在しない、してはならない
?B生活の質の向上を常に追求する
?C地域で暮らすのが当たりまえ
?D何よりスウェーデンの社会、市民の障害者やマイノリティーへの意識がはっきりしていること(障害を持っていることが不利になってはならない、支え合うのが地域であるなど)

●コンタクトパーソンとグッドマン

そして3つめの柱として、コンタクトパーソンとグッドマンがあげられる。
コンタクトパーソンは、基本的には同性で、年齢も近くて、趣味の重なっている人が多い。
グッドマンは、弁護士や医師が多いのだが、裁判になったり、地域で問題が起きたときに、その人の後見人としてバックアップを行っている。
人によっては、コンタクトパーソンと毎日のように会ったり、家族同然の付き合いをしている場合もある。

●スカーラボルイを訪れて

(1) ヨハネスベルイ

スカーラボルイのマリエスタッドに「ヨハネスベルイ」はあった。
非常に広大な敷地をもち、居住棟も個室で、非常にきれいだということであった。
基本的に建物は、現在も残っている。
ヨハネスベルイでは、閉鎖を決める前に敷地内にグループホームを作った。一つ一つはまだ新しくきれいで、地域の中にあるものと規模も同じであるが、やはり施設内にあるグループホームということで、今もここには誰も住んでいない。
そして現在建物の一部は、難民の収容所として利用されている。

(2) スウェーデンのグループホーム

ヨハネスベルイが閉鎖されて、地域に出た人たちは、グループホームやアパートで生活している。4人が生活しているグループホームは、英語では「デパートメント」と表現されているが、それぞれが完全に独立したものであると考えていい。だいたい4〜5人ぐらいが基本である。
1人あたりの居住面積は平均47?uである。日本の2LDKより大きいぐらいのところに住んでいる。

ここには、共通の出入口のほかに、スタッフと顔を合わせないで自分の部屋に行ったり来たりできる自分専用の出入口がある。夜泊まりに行ったり、友人が遊びに来たときなどに使うのである。このような自分専用のドアは、基本的にどのグループホームでも保証されていた。

グループホームを訪れて、部屋を見せてもらうと、広さは同じだが、それぞれの部屋の感じは全く違う。一人一人全く違っているのである。家具などは、全て個人の趣味でそろえられている。部屋の中のソファー、ベッドなど全て革製品でそろえている男性や、部屋の中を全て紫色で統一している女性など、本人がこれが好きというものに対しては、誰もやめなさいとはいわないのである。

基本的に掃除は自分で行っている。スタッフが、気を利かして部屋に入ってきて掃除を行うということは許されない。自分一人のスペースには、親だろうと、友人であろうと、スタッフだろうと誰一人許可なしに入ることはできないのである。もし許可なしに入れば、プライバシーの問題で裁判ざたになる。

(3) グループホームを訪問して

・施設の近くに作られたグループホーム
人によっては、施設の近くが住み慣れたところなので、そこから動きたくないという人もいる。施設から2〜3分のところに作られたグループホームを訪問した。
しかし、施設にいたときと、グループホームで生活している時とを比べると、彼らの意識は全く違っているということである。
スウェーデンでは、いくつかのグループホームを巡回して、スーパーバイズを行う人が必ずいる。
入居者は、身近にいるスタッフを飛び越えて、この巡回しているスタッフに直接電話をして相談することもできる。

・若い人のグループホーム
家族とずっと暮らしていて、入所施設に入ったことがない、平均年齢20代前半の人が生活しているグループホームを訪問した。
この人たちは、とにかく寝るまで、共用の居間でおしゃべりを続けているということであった。
それが若さによるものか、家にいたことによるものかはわからないが、入所施設にずっと入っていた人たちのグループホームとは、やはり雰囲気は違っていた。

・自閉症の人のグループホーム
郊外にある自閉症の人たちのグループホームを訪問した。自閉症だから郊外に建てたのではなくて、この人達が施設から出るにあたって、いろいろなところを試した結果、自然がたくさんあって、静かなところが好きだということでこのグループホームをつくったのである。
このグループホームの近くには、ティーチというプログラムを行うための、4人の為だけの学校がある。
みんな、自分の部屋で勝手にやるのが好きで、自閉症の人たちが共用の居間を使いだしたのは、2年ぐらい経ってからだということであった。まだただ座ってテレビを見ているだけで会話はないが、それでも大きな変化であるということであった。

・障害の重い人のグループホーム
最後まで、施設に残っていて、この人達は地域に出られないだろうといわれていた人たちが生活している郊外にあるグループホームを訪問した。私が一番印象に残ったグループホームであった。
このグループホームを囲んで、飛び越えようとすれば、簡単にそうできるほどの高さの柵が設けられている。それが、建物をつくった時点での職員の彼らに対する評価であった。

このグループホームの特徴は、2人のデパートメントがあるところに1つのドアがあることである。1人に1つのドアをつくる勇気がなかったということであったが、近々、このドアは二つに作りかえて、完全に個人で出られるように変えるつもりだということであった。
それほど、どんな人が来て、どうなることかと思ったが、現在彼らは生活をエンジョイしていて、入所施設で見られた精神症状は減少し、問題行動が全くなくなったとはいえないが、顕著になくったということで非常に注目されているグループホームである。
ここは、設計の段階でグループホームをつくるための準備委員会が医師、看護婦、心理士、ソーシャルワーカー、建築家などから構成されて、1年半かけてこのグループホームの設計を行われた。

精神障害を持っていて、施設の一番奥の日の当たらない独房のようなところで何十年も生活していたアンデシュがこのグループホームで生活している。年齢は、現在47、8歳である。子どもの頃から、施設に入っていて、20代、30代の精神障害が重い頃には、強い薬を投与されて、もうろうとした意識の中でその独房のような部屋の中で何十年も暮らしていた。
このグループホームを訪問したとき、迎えてくれたアンデシュは、とても分裂病とは思えない印象であった。症状が落ちついているというのは、分裂病の場合、強い薬によって、もうろうとしているような感じなのであるが、彼はそういうことはなく、強い薬を投与していないことや、非常に症状が安定しているということがわかった。

このグループホームでは、重い自閉症の人、問題行動に悩んでいる人、精神障害を持っているの人の4人が生活している。重い自閉症の人のうち、1人の人は、石を集めることが趣味であった。今のグループホームの周りには、石がたくさんあるので、ベッドの下には、床が抜けそうなほど石が毎日増えていた。スタッフはそれを見て見ぬふりをしているが、もう少したったら、本人の了解を得て、石を外に出さなければ、ベッドまで届きそうなほど石がつみあげられていた。
もう一人の自閉症の人は、死んだ生き物を集めるのが趣味であった。外に出るのが好きなのであるが、行くと、死んだ兎や鼠などを持ち帰って、やはりベッドの下にかくしている。

ここで働いているスタッフは、彼らが施設にいたときから、そこに出かけていって、彼らと友達になって、かなり長い時間をかけてここまで来ている。
アンデシュは、週に1〜2回、デイセンターに通っているが、行く回数は、彼のペースに合わせている。
このグループホームでは、4人が生活しているが、常時それを上回る職員が配置されている。
そして、だれを専用に担当する職員がいるということではなく、どのスタッフともコミュニケーションが図れるようにしているのである。
当初、作られた柵も、しばらくたち、必要ないということがわかった。夜、勝手に出ていって、暴れるということは絶対になかった。

いくつかのグループホームを見てきて、感じた一つの特徴は、サービスを提供する人が複数いて、利用する人はそれを使い分けることが保証されているということである。それは、入居者にとって非常に心強いこととなっていた。

(4) デイリー・アクティビティセンターを訪問して

センターとしての建物があるのではなく、ふつうの工場、ふつうの牧場、ふつうのカフェテリアが、その活動の場になるものがある。彼らが、カフェテリアに行って、コーヒーを出したいと希望すれば、そこにスタッフと行って、一緒に希望する活動を行っているのである。

スカーラボルイに、博物館の絵やその展示品を保管している倉庫があるのだが、その倉庫の中は、これまで何十年とあれ放題であった。それが3人の知的障害を持つ人によって徹底的に整理されたである。彼らの頭の中には、何がどこにあるということが全て頭に入っていて、スタッフに聞いてもわからないことが、彼らに聞けばすぐにわかるのである。これもデイセンターの活動の一つである。

カフェテリアで、お茶やお菓子を出したり、お客さんとおしゃべりをしたりするのを活動としている女性もいる。最初は、慣れなかったが、今では彼女のファンがお茶を飲みに来るほどの働きぶりである。ここでは、厨房に一人のプロがいる他は、フロアは、別々のグループホームに住む二人の知的障害を持つ女性に任されている。

(5) コンタクトパーソン

グループホームから一人での生活を選ぶと、何かと問題が起きてくる。セールスマンが玄関にいるとか、ガスがつかないとか、水道が凍ってしまったという時には、連絡をすれば、近くに住んでいるコンタクトパーソンが、すぐに来て助けてくれる。
コンタクトパーソンは、代弁者となって様々な手助けをしてくれるが、それは助けを求められた時だけである。専門家には相談できないような細かいことも、コンタクトパーソンになら気軽に助言を求めることができるのである。

(6) スカーラボルイ県議会において

1994年6月にスカーラボルイ県議会においてプロジェクトチームの主要メンバーから、事業全内容が報告され、翌日どの紙面もこの話題が一面を飾った。
「もっと、予算を確保して、彼らの生活を向上させなければいけない」と熱のこもった議論がなされ、各議員はそれを地域に持ち帰り、自分たちの地域のより一層の見直しを図るということであった。


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