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知的障害者福祉研究報告書
平成7年度調査報告  〜精神薄弱者福祉研究報告書〜


第2章 ビデオ制作関連調査―ワーキング議事録―

1. 日本の知的障害者福祉の歴史と課題

―アメリカ、スウェーデンとの比較をもとに―

講師:渡辺 勧持氏(愛知県心身障害者コロニー発達障害研究所社会福祉学部 学部長)

1. 日本の知的障害者福祉の歴史と課題

●欧米と日本の知的障害者の入所施設と地域の住まいの歴史的展開

(1) アメリカと日本の歴史的展開

知的障害をもっている人は、昔は、大きな施設に隔離されていた。それが、だんだん地域の中で生活するような方向に動いてきた。これは世界的な動きである。ところが、日本と欧米では、その動き方が違っている。

アメリカで施設に入所していた人は、1960年頃まで増加し続けた。アメリカの人口は、日本の約2倍であるが、ほぼ20万人の知的障害をもつ人が施設に入所していた。
日本では、1990年時点において、ほぼ10万人の人が施設に入所している。10万人とは、知的障害をもっている大人のうち、3〜4人に1人の割合である。
このため、日本においては、街の中で知的障害をもっている人をあまり見かけないのである。
日本においては、アメリカで最も多くの人が入所していたときの人口比と、すでに同程度の人が施設に入所している状況である。

施設に入所している人が増加していったのは、欧米においては戦前から1950年の後半までであった。そして1960年代の初頭頃から施設に入れてはいけないという運動が生じ、入所している人の人口が減り始める。
施設へ入所しなくなった人たちがどこに住んだかというと、グループホームである。グループホームの形態は国によって様々であるが、アメリカの場合には10人、15人の人たち、あるいは4、5人の人たちが地域の中のふつうの家で暮らし、そこにお世話をする人が配置されているのである。

アメリカにおいては、入所している人の数が10数年のうちに20万人から10万人に減った。アメリカにおいては、日本で現在入所しているすべての数の人が10数年のうちに地域に出ていったのである。
日本においては、1960年に「精神薄弱者福祉法」が制定されて以降、入所施設が急激に増えていった。この背景には、高度経済成長が非常に関係していると感じている。

(2) ノーマリゼーションの理念

欧米では1960年代から、入所施設が様々な形で批判され、もっと街でふつうに暮らすべきだという考えがおこった。
そのような理念の合い言葉がとして、「ノーマリゼーション」がある。
デンマークからスウェーデンに広がった「ノーマリゼーション」は、マイノリティな人の生活環境を、その社会のノーマルな生活環境と同じ質のものにしようという考えである。
ノーマルな社会が貧しければ、障害を持つ人の生活環境も貧しいだろうが、スウェーデンのように、普通の人の生活水準が上がったときに、なるべくそれと格差なく近づけるようにすることであった。

地域生活援助とは、地域から離れた大きな施設に隔離して、非人間的な人生を送らせるのではなく、私たちが暮らしている地域の中で障害を持っていてもふつうの生活ができるような、様々な援助を考えることである。

(3) 欧米と日本における展開の相違―時代的背景―

欧米と日本における展開の第一の違いは、時間の差である。欧米が入所施設に入れていた時代と、日本が入所施設に入れていた時代とは時間的なずれがある。またその時代によって、なぜ入所施設に入れざるを得なかったのかという思想的な背景も欧米と日本では違っている。

欧米の場合には、知的障害の人は、女性であれば売春婦になったり、男性であれば犯罪者になったり、社会を脅かす存在であると考えられていた。また遺伝的な見解についても間違った解釈が科学者によってなされたこともあった。
そういうこともあって、欧米では社会防衛論的な立場から、どんどん知的障害を持つ人を施設に入れていたのである。

日本において入所施設に入れていた、30年ほど前にはそのような考え方はすでになくなっていた。このようなことから日本において入所施設に入れていた背景は、欧米とは違うものであったはずである。

欧米の当時の収容施設と日本で現在行われている入所施設とは様々な違いがある。アメリカなどでは、一つの施設の敷地に3,000〜4,000人の人がいくつかの建物に分かれて住んでいた。日本では、今一番大きいところでも900人ぐらいである。

日本において、このように多くの入所施設をつくってきた背景は、推測の域を出ることは難しいが、個人的には50年代からの経済成長がかなり強い要因となっていたのではないかと考えている。経済の推進に一直線に向かうには、地域での生活という手間暇のかかることはできないというような、経済システムの効率性からしても地域ではなく、入所施設に入ってもらっていた方がよいと考えられたのではないか。そのような意味では、高度経済成長の犠牲的な意味を持って入所施設に入れられていたという背景もあるだろうと感じている。

スウェーデンでは、施設に入っている人よりも地域で暮らしている人の数がどんどん増えている。
アメリカやスウェーデンでは、入所施設に入っていた人の数があるピークまでいくと、そこからは地域で暮らす人の数がどんどん増えている。日本では、そのようなことが、まだ起こっていない。日本では現在入所施設に10万人の人が入っているが、その数は今も増えており、減少してはいないのである。

(4) 日本における知的障害者の住居サービスの展開

日本において、知的障害を持つ人のためのサービスがどのように伸びていったのかは、終戦後、精神薄弱者福祉法が制定され、高度経済成長期に入ってから入所施設の数が急増している。
作業所や通所施設は、70年代の前半から徐々にできてきたが、これには二つのタイプがある。一つは国が補助を出して運営されている認可施設である。一方、学校を卒業した人の数に対して、国の認可施設だけではとても足りないので、ここ10年ぐらい、親たちが共同で運営している国の認可を受けていない施設が急速に増えている。その数は認可を受けている施設の数を超えている状況である。現在日本には、そのような無認可の作業所が3,000ヵ所までに増えている。

日本で施設をたくさんつくっていた時代の世界的な潮流は、施設を廃止して、街で暮らせるようにしていこうとする時代であった。
日本でも、そのような理念を受けて、グループホームを作り始める。このグループホームに地方自治体レベルの補助が出始めたのは、1979年であった。現在日本には、1,200カ所程度のグループホームがあり、一軒のグループホームには4〜5人で暮らしているのが平均的である。
このように現在の日本では、10万人の人が入所施設に入っている一方で、5,000人程度の人が地域の中のグループホームで暮らしている。
79年から始まった都道府県によるグループホームへの補助が、89年には、およそ半数の都道府県によって実施されるようになった。そして、89年からは国も補助を実施するようになり、グループホームの数は一層増えていった。

(5) 日本の知的障害者の実態

平成2年に公表された、厚生省の基礎調査によると、日本の知的障害を持つ人の数はおよそ40万人で、その内訳として、10万人が入所施設、10万人が就学前及び就学している子ども、そして残りの20万人の大人の人が街にいる。
ここで問題となるのは、この20万人のうち、10万人の人には仕事がなく、家にいるだけだということである。この数値は、スウェーデンなどと比べると大きく違っている。
スウェーデンなどにおいては、仕事がないということはまず考えられない。
このような背景から、日本においては、親が年老いてきたときには、入所施設を望むということになる。地域福祉の推進などが大きくいわれているが、日本における福祉は、まだまだ貧困であるといわざるをえない状況である。

(6) スウェーデンと日本のグループホームの運営形態の相違

日本において、入所施設が減らない一つの理由に、入所施設がグループホームを持つという形態があげられる。スウェーデンでは、グループホームを運営しているのは、地方自治体である。アメリカでも、グループホームだけの団体がグループホームの運営を行っている。
ところが、日本では、入所施設を持っているところが、グループホームを運営するという色彩が非常に強い。グループホームの制度を作るときに、厚生省は、あまりお金を出したくなかった。4人の人が暮らしているグループホームに出る補助は300万円程度で、これは、一人の世話人の年収となる金額である。そうすると、世話人が病気になったとき、利用者に問題行動が起きたときにどうするかなどの心配があった。その為に、いくらかの補助を出すことによって、入所施設でそれをバックアップしてもらうというシステムを導入したのである。
欧米の傾向が、入所施設を廃止して、地域で生活できるメニューをどんどんつくっていこうというものであるのに対して、日本は、入所施設を存続させながら、地域のグループホームをつくっていこうという形態で進行しているのである。
スウェーデンのグループホームは、とてもきれいで、重症心身障害を持っている人もグループホームで生活していた。日本の1,200件というグループホームの数は、これまでの知的障害者福祉の歴史からすると、かなり急速に増えてきたものである。
しかし、大きな問題は、補助金額が、一人の世話人の人件費程度のものしか出ていないということである。その人に4人の世話をしてもらうということになると、余程軽度の人でないと無理である。また、先の調査では、世話人のうち、60歳以上の人が1/4を占めていた。給料もあまり出ないわけであるから、若い人は雇えないのである。

それに対して、スウェーデンでは、重い人でも誰でもグループホームに住むことができる。軽い人であればアパートに住んで、食事などで困ったときに、連絡すれば近くにいる世話人が来て対応してくれる。だから数時間のサービスに対する料金で済むのである。またグループホームであれば、生活している人たちの人数、障害の程度に応じた、スタッフの体制を整えているのである。
日本の場合は、世話人が一人というところがほとんどである。先の調査で、あなたのグループホームに問題行動があったり、身辺動作ができない人が入ってきたらどうしますかという質問に対して、専門的な援助と世話人が動員されれば、できると思うという回答が多かった。そのような熱意は、今の状況ではかなりあると思う。それを上手に社会の中で育てていくことが大事であると考えている。

(7) 今後の展望

結論としては、非常に大きな問題であるが、人類の歴史の中で、ここ30年〜40年の間に障害を持っている人と一緒に暮らそうといういうことで世界中が動いた。そして今も動いている。そういう意味ではすばらしい時代であると思っている。
欧米の動きに対して、日本の動きはいろんな意味で違っているが、同じ理念の枠組みの中にいることは確かである。
ただ、日本では、グループホームで生活できる人は非常に軽い人、介助があまり必要ない人となっているので、外国においては、もっと重い人も地域で暮らせているんだということ、それなりの対応を整備していけば可能なのだということをもっとアピールしていくことが必要であると考えている。

研・究・論・文

知的障害者の居住サービスの日本の特徴

―アメリカ、スウェーデンとの比較を資料にして―

渡辺勧持・大島正彦 ●愛知県心身障害者コロニー・発達障害研究所

●1――はじめに
ノーマライゼーションという言葉がよく使われる。「施設から地域へ」あるいは、地域でともに暮らす、という表現にもしばしば出会う。障害をもつ人びとが普通の人として社会参加する、という理念が二十世紀の後半で国をこえて提唱され、この三〇年間実現の道を歩んできた。
日本でもこれらの表現がよく使われる。
しかし、平成二年の調査では、日本の知的障害者の推定数三八万五一〇〇人のうち、施設入所者は一〇万一三〇〇人、二六%となっている。成人の場合に限れば、三三・九%、実に三人に一人が施設で生活をしている。この数字だけをみると、ノーマライゼーション、社会参加、というのは外国の言葉で、日本はいまだ施設収容の国なのか、という印象もうける。
インスティチューションと同じように訳されていても、日本の入所施設は、欧米で過去に強く批判された大規模・隔離収容施設とは異なる、という意見もある。一方、入所施設はやはり施設であって、地域生活を楽しめる住まいとはいい難い、という意見もある。
この論文では、知的障害者の居住サービスについて、入所施設とグループホーム等の地域の数人の住まいを対比した観点からアメリカやスウェーデンと日本の歴史的経過を比較し、それを資料として日本の知的障害者の居住サービスの現在の間題を検討したい。
●2――アメリカと日本の知的障害者の入所施設と地域の住まいの歴史的展開
図1は、アメリカと日本の施設の入所者数を年次別に示している。
アメリカの入所施設は公立施設に、地域の住まいは一五人以下の住まいに限っている。
アメリカでは、公立施設以外にも入所施設に入所しており、一九八八年の例をとると、公立施設に九万一四四〇人いるほか、民間の施設に約四万六〇〇〇人、ナーシングホームに約五万人が入所している。日本の地域の住まいには通勤寮・福祉ホーム、生活寮・グループホーム等を含めた。
アメリカの施設と日本の施設は、当然のことながらその規模、運営内容などが異なる。図1はそれを前提として地域の住まいと対比して施設入所人口の変遷をあらわしたものである。



アメリカと日本の居住サービスの展開を比較すると次のような特徴がみられる。
(1) 入所施設が増えてきた時代の背景、増加の速さ

アメリカは、一九六〇年代までに入所施設が漸増している。日本では一九六〇年代から入所施設が急増している。
この違いから入所施設が設立され、増加した両国の時代の背景、障害への見方、医療の進歩、経済情勢などは相当に異なると考えられる。
アメリカでは、十九世紀後半、知的障害児が治療教育で治る、と思われた。その試みが挫折し、科学の名のもとに優性学的思想があらわれ、障害をもつ人への危険視がおこり、社会防衛的なかたちで入所施設が増大するという背景があった。
日本は戦前までの入所施設が二〇ヵ所たらずで定員も少ないことを考えると、一九六○年代まで地域で家族がかかえていた障害の人びとを高度経済成長期に作られた入所施設に収容した感じが強い。入所施設の増加は極端に早く、三〇年間で一挙に作られたという感じがする。
(2)施設入所人口の増減と地域の住まいの増減との関係



アメリカの施設入所人口の増減と地域の住まいで暮らす人の経年的変化を簡略化にすると、図2のモデル I のような形になる。
モデル I では最初に入所施設ができ、入所者人口が増加しピークに達しその後、下降する。そしてピークに達する前後から地域に新たに小規模住居がでてくる。欧米の多くの先進国が、このパターンをとってきた。一九七四年、スウェーデンでは、グループホームの入所者人口は、入所施設人口の一万四八五人に対しわずかに一五七二人であった。これが一五年後の一九九〇年、施設入所者人口は五〇二七人に減少し、グループホームで生活している人の人口は、七八三五人と施設人口よりも多くなった(図3)。
日本では、この施設人口のビークと下降はまだ見られていない。しかし一方で地域生活の住まいと表現されるものが増加しはじめている。現状では、図2のモデル II のようなパターンになる。モデル II では、最初に入所施設ができ、施設人口が増加し続ける一方で、しばらくたって地域での小規模な住居が現れるものである。
モデル II は、日本以外の国でもみられよう。
たとえば、発展途上国でもそれまで知的障害者の居住についての社会サービスがない場合、日本の一九六〇年代と同様に家族が担っている負担をすこしでも早く解決するために入所施設を作るという政策が一般的に考えられる。入所施設は集団処遇であり、地域生活からは離れる欠点があるが、知的障害をもっていない人びとの暮らしの水準と比較すれば、これらの保護的観点もそれほど悪くない、という場合にはこのモデルがおこりうる。
あるいは、入所施設の機能をたとえば医療的な役割として限定したり、施設内の住まいを小舎制にし個人の尊厳に配慮しながら集団生活に積極的な意味を認め、施設を推進する場合もあろう。
モデル III は集団・隔離処遇である入所施設を作らないで、初めから地域サービスのモデルを展開する場合である。一般的にはこれまで多くの国が入所施設、つぎに地域の居住サービスという方向をとってきた。しかし、先進国の収容施設の失敗を見、その教訓を得て、ノーマライゼーションや障害をもつ人びとの人権尊重の時代思想の中で初めから地域での居住サービスを展開するという可能性がモデル III である。しかし、現実にはこのモデルは見られていない。
では、モデル II の形をとっている日本の場合、なぜ入所施設はいまだに増大しているのだろうか。
答の一つに、日本の入所施設は欧米と比較し、それほどは悪くない、という考えがある。
たしかに欧米の一九六〇年代までの収容施設は、規模にしても日本のものよりもはるかに大きく、批判された施設の生活は今の日本の居住施設とは比較にならないほど劣悪な場合があった。しかし、この考えは次のような点を考慮せねばならない。
第一に、欧米では一九六〇年から一九九〇年の三〇年間の間にノーマライゼーションやインテグレーションに表現される障害者の人権から発する地域生活サービスへの変化がおこり、知的障害の人びとを施設収容すること(たとえ三〇人、五〇人規模の入所施設であっても)に疑問が提出され、普通の生活を地域ですすめる施策が行われ続けられている。日本は、スタートとしては欧米のような大規模・隔離収容施設ではなかったが、以後三〇年間ノーマライゼーション理念の浸透があるにもかかわらず、基本的には入所施設の機能・形態をほとんど変えずに拡大し続けてきた。
第二に、この三〇年間に知的障害をもたない私たちの生活が飛躍的に豊かになり、知的障害者の入所生活との間に大変な格差が生している。年金額の増大、施設入所者数の縮小、個室に近い形への住居の努力、重度障害への配慮などがあったものの、知的障害者の入所生活の暮らしは、私たちの暮らしの変化と較べると三〇年間すえおかれていたといっても過言ではないだろう。
もう一つの答えは、依然として施設入所の需要がある、と考えることである。
しかし、サービスを受けている知的障害者のうち、四人に一人が施設入所者である、という数字は、諸外国と較べ異様に高いと思われる。施設入所待機者がいるから施設を作ればいい、といとうのではなく、地域での住まいの展開を急ごう、という方向に向けていきたい。
(3)地域の住まいの展開の速さ



アメリカは施設入所者が増加した速さに較べると、地域生活をするための住まいは急速に展開した。スウェーデンの場合でも、一九七四年からの一五年間に年平均四一七人の人がグループホームへ移っている(図3)。これは日本の人口で換算すれば一年間に五八〇〇人の人が新しいグループホームへ入居していることになる。日本ではこの四年間、一年に一〇〇ヵ所、約四〇〇人の人が国の補助によるグループホームに入居している。
日本では施設は急速に増大したが、地域生活のほうはまだ一歩を踏みだしたばかりでありスピードがついているとはいい難い。
欧米先進国では、大規模収容施設の問題がバネとなって一九五〇〜一九六〇年にノーマライゼーションの理念があらわれ、そこから大きな地域化のうねりがおこった。
日本では、この収容施設と地域福祉の質的な落差の大きさが経験されていない。日本ではこうした状況に遭遇することなくノーマライゼーションという用語を導入し、使っているが、それは理念的には稀薄化されており、その用語の使用によって日本の現状をはっきりと見ることが妨げられているようでもある。
●3――日本の知的障害者の住居サービス、とくに地域の住まいの展開について
一九六〇年代からの三〇年間、入所施設の爆発的な急増がおこり、地域での知的障害者の居住サービスの機能は手つかずのまま空洞化してしまった。
居住施設は制度のうえでは、児童施設、成人の援護施設の後に、通勤察、福祉ホーム、グループホームへとより地域へ近い形へと展開してきた。一方、地域では居住サービス以外の早期対応から学校教育、学校卒業後の就労の場まで多様なサポートがこの間に展開してきている。
(1)地域の住まい展開への二つの流れ
――入所施設から地域へ向かうニードと地域のなかで家族から自立するニード――
日本の居住サービスは、施設福祉ととて展開してきた、とこれまで述べてきた。しかし、統計上は見えないほどわずかではあるが、地域でともに暮らす、ことの意義を早期に認識し、その理念を人びとに伝えながら地域の中で少人数の住まいを三〇年をこえて実施してきた人びとがいる。そうした長い取り組みの後、一九八〇年代近くになって地方自治体が生活寮等に補助を開始した。その後県レベルでの補助が約半数になった一九八九年に国は補助を開始した。
これまで生活寮・グループホーム等と呼ばれてきた少人数の住まいには、二つの流れがあると思われる。
一つは入所施設から生活寮・グループホームへ移行する人のものである。施設で入所しているが、地域での援助体制があれは暮らすことができる人たちの受け皿としてのグループホームである。国の制度はこのニードに比較的対応した進め方をしており、入所施設がグループホームのバックアップ体制をとっている。
二つめは地域の中で早期対応から学校教育、卒業後の仕事をしてきた人たちが家族から独立し、おとなの住まいを必要とするときの生活寮・グループホームである。この人びとのニーズに比較的こたえているのは、国の補助金を受けずに独自に運営している生活寮等や、地方自治体の補助を受け入れている生活寮等である。これらの生活寮等は、これまで行われてきた地域ケアの活動の実績の延長として作られており、そのバックアップ体制も地域の特性にあわせたいろいろな工夫がなされている。たとえば、通所施設がバックアップになっていたり、横浜市のように在宅障害者援護協会のような組織をとおして親たちが独自に運営している場合もある。
この二つの流れは別のニードにたっており、それぞれのニードが展開し、地域生活を可能とするように相互の援助が地域の中で体系化していく必要がある。
しかしながら、現在の生活寮・グループホームの動態をみると、国のグループホームが毎年一〇〇ヵ所増大しつつあり、それまで国に先行して地方自治体で行われていた生活寮等およびその自発的な援助体制の広がりが縮小している傾向にある。それぞれの地域で住民や自治体、団体から履開した援助活動の発展としての地域の住まいは、今後の地域福祉の展開の要となるところであり、これからの活動に注目したい。
(2)地域の住まいが市町村レベルでサポートされる必要性
四〜五人の人が住む町の生活寮・グループホームは、国や県よりも市町村の水準で援助される必要度の高い福祉の課題である。
地域の中の生活寮・グループホーム等で住む場合、その援助の内容や必要度は、知的障害の程度によって一律に決まるものではなく、個人によってさまざまである。サービスを受ける側からすれば、このような個人の必要度に応じた援助が個人の選択や、白已決定の幅を広げ生活を豊かにしていく。
これらの援助には、緊急事態での電話相談が必要、夕食の準備だけ必要、相談者や友だちが必要などさまざまなものがあるが、その内容においても、必要の度合いについても多岐にわたり、それに対応して世話人の勤務態様や雇用の条件がかかわってくる。運営についても、住宅の家賃や土地の経費は都市部と農村部で極端な差異がある。それらの活動に必要な補助は、それぞれの地域で大幅に異なるはずである。
余暇活動、健康管理などでは地域の一般の人の社会資源を利用でき、またそれによって地域社会の人びとの理解、受け入れが促進されるのであるが、そうした地域の社会資源やネットワークもそれぞれの地域での対応が必要である。
実際、これらの地域活動の延長として作られた生活寮等では、国の補助をを受けたグループホームとは活動の内容が異なり、生活訓練や緊急時の短期のあずかり、重度の障害者の受け入れなど、地域のニードに応じた幅の広い活動をしていることが調査でも明らかにされた。
地域の中でのこれまでの教育や就労のサービスへの広がりの延長として知的障害者の少人数の住まいがとりあげられ、市町村レベルで民間団体、自治体、あるいは第三者機関の取り組みが行われ、かつそれを奨励、援助する制度が行われることによって、はじめて入所施設への待機件数も減少し、入所施設から地域に安心して戻り、地域生活を行えるようになるであろう。

〈参考文献〉
1、厚生省児童家庭局障害福祉課「精神薄弱者の地域生活援助」、一九九一年
2、妹尾 正:世界の精神薄弱福祉の概観、世界精神薄弱者愛護協会国際委員会編、9-11、一九一一年
3、広瀬貴一他「障害者の地域生活援助方法の開発に関する研究」、厚生省心身障害研究班「心身障害児(者)の地域福祉体制の整備に関する総合的研究」平成三年度報告書、一〇一-一三三、一九九一年
4、愛知県心身障害者コロニー発達障害研究所社会福祉学部:「グループホーム・生活寮 一九九〇年度全国調査報告書」、一九九二年


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