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れた国際基準のホテルがあるということ、物理的にもサービス面でも国際基準を満たしていること、発達した通信システム、さらにスタッフが観光業の様々な側面で訓練を受けていること。ホテルでも訓練されたスタッフが必要ですし、ガイドとしても国際的に共通する言語を使えなくてはなりません。できれば訪れる方々の母国語を話すことができれば、よりうれしいということになるでしょう。

このようなことを言いますと、皆さんにとっては「わあ大変だ」と思われるかもしれません。でもそういうふうに皆さんをがっかりさせるのが私のお話の目的ではありません。思い出していただきたいのは、観光商品を売るということは夢を売るということだからです。夢は完壁であればうれしいですけれども、夢の中には完全ではないところがある。しかしそれは別のところで補完できるものであり、バランスがとれていればいいと思うんです。それによって訪れる方の夢や期待をある程度満たすということが必要でしょう。

私はトルコにおいて観光業に27年携わってまいりました。トルコには27年前ほんの数百人の人しか訪れておらず、まだとても観光業と言えるような状態ではありませんでした。しかしながら現在では一千万人近い観光客が来ております。世界各地からお越しです。観光業はトルコの大きな産業のひとつとなりました。そして観光業をとおして、何十億ドルもの観光収入が上がるわけです。

私の仕事の中でこのような変化は私自身体験してきました。確かに時間はかかります。しかし決定が一度下れば、いろんなことが動き出すものであります。

ひとつ明確にしておかなくてはならないのは、観光業が本当に必要だと思っているのか、それとも単にいろんな利益団体やまたは冒険者が来てくれればそれでいいのかということです。もちろん初めの段階では特別な利益団体ですとか、または冒険家だけかもしれません。このようなことを考えて、その後状況の変化に対応していかなくてはなりません。

シルクロード諸国を見てみると、日本というのは唯一現在のところ観光客を送り出す市場であります。したがって当然私たちは、我々の国々に日本の方々をお呼びしたいわけです。

私は日本のオフイスでも仕事をしてまいりました。東京におけるトルコ政府観光局の仕事を5年間しております。初めの4年間は大体20年前の設立当時の話であります。当時初めて東京に私どもの事務所を開設いたしました。当時トルコの観光業はあまりまだ発展していなかった。これは先ほど申し上げたとおりです。そして残りの1年間というのは96年の末以降のことであります。ですから私はこれまでトルコの観光商品、そして日本におけるプロモーションを始めから目にしてきたということです。

20年前、トルコというのは特別に感心のある方々や、冒険家の人たちだけが来るところでした。しかし今は日本の観光市場の多くの方々によって訪問されています。1997年でありますが、日本からの訪問客は8万5千人ぐらいでありました。もちろん日本にとっては最大の目的地ではないでしょうし、大きな数とは言えないかもしれません。しかし距離を考えてみると、

 

 

 

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