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所で、昨年の秋に調査団が訪れ中国の新彊はシルクロード全体からいいますと、東の部分の核であると考えられる訳であります。従いまして、新彊の仏教遺跡をはじめ色々な遺跡を本当に理解するには、ただ新彊のことばかりを研究したのでは、私は本当の新彊の遺跡の本質はわからないと思います。やはり、どうしてもシルクロードの全体の知識が必要なのであります。言い換えれば、西の方、いわゆるパミール高原を更に越えた西の方のシルクロードについても十分な理解を持っていただく必要があります。

そして西方との比較において、新彊の新しい局面があるということを、是非そこまで考えていただきたいと思います。

 

私は大学時代にアフガニスタンやパキスタンのガンダーラとかの仏教遺跡を調査してまいりました。仏教がどういう風にしてインドからこの様な地を通って中国に渡り、そして最後には朝鮮半島から日本に来たかということを目的として調査をやっておりました。最近は更に西の方のシリアとかトルコ、特にシリアのパルミラ遺跡の発掘調査をしておりますけれど、ここには実は中国の絹が遺跡から出土しております。

 

その中国の絹を見ますと、そこには漢字の模様が描かれてあります。ですから新彊のニヤとかローランから出まして現在ウルムチの博物館が持っていますその種の遺跡と、そっくり同じものがあります。即ちそれは、中国から行ったものが向こうでも使われていた訳です。ただそれだけではありません。他にも絹織物が出ておりますが、これは少し中国のものとは模様が違います。どういうことかとよく調べてみますと、それは中国からの絹糸を輸入しまして、その絹の糸の非常にいい性格を取り入れて、それに向こうの毛織物と絹糸とをミックスして、織り上げた独特のものを作ったわけです。

そう言うものに中国の絹が影響しているということは、非常に意義があることだと思います。中国の絹は西に持っていっても、それをそのまま使うわけではなくて、そのいいところだけを取り入れて、向こうでまた新しく織物を作っていたということが考えられます。

 

同じ様なことは逆に向こうから中国側に来たものについても言えると思います。例えばガラスというものは、西の方のシリアあたりで興って、それが伝わって来ました。西で作ったガラスがそのまま中国の遺跡からいろいろ出ています。

それ以外に、今度は中国で鉛ガラスという中国独特のガラスが作られました。そういう新しいものが、よそからの影響で作られるという現象があります。

 

葡萄は、今、新彊で非常に多く栽培されており、今回の調査でも葡萄酒を美味しくいただきました。その葡萄を模様にした「葡萄唐草模様」というものがございます。

 

 

 

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