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その模様は、いろんな織物なんかにも出てくるし、中国では「海獣葡萄鏡」という鏡の模様でもありました。

しかしその葡萄は、元々西の方から来ています。「葡萄唐草模様」が、やはりパルミラの遺跡にも見られます。それが中国に入ってきて、中国独特の模様としてさらに優美なデザインに作り変えられたことがわかります。

 

ニヤ遺跡や亀茲石窟や、あるいは敦煌の石窟で、いわゆる飛天というきれいな天女の絵がございます。空中を舞っている、飛天という絵です。実はこれも西の方から来ているのです。ギリシアでは、「ニケ」(Nike)という、いわゆる勝利の女神の像があり、背中に羽根を着けています。それからキューピット、エロスという子供も羽根を着けています。そういうものが、イランヘ伝わり、アフガニスタンのバーミヤンの石窟寺院に、そして、それが新彊のミーランや、亀茲の石窟の壁画、敦煌の素晴らしい壁画とかに伝わり、最終的に日本の法隆寺まで伝わってきているということを考えますと、しかもそれが、それぞれの地域でそれぞれ違ったデザインとして発展しているというところに、私はしがらみを感じています。何かといえば、そういう風に外国からいろんなものが来る。東からも来る。西からも来る。それをそれぞれの土地の人が自らの、新しい一つの文化としてそれを開発していき、そこに大きな意味がある訳であります。その辺を私はやはりシルクロードというものを、実際にその現場を見て回って、観光して回ってそれを認識することに、大きな意味があるという風に感じております。そういうものを理解するための観光事業というものは、大いに促進してもらいたいと思います。

 

しかし、私のような研究者の立場から申しますと、その貴重な観光資源という遺跡を、如何にして保存していくか、そしてそれを一般の人に如何に見せるかという、そのテクニックが私は、非常に大事だと思います。中国のシルクロードの遺跡には烽火台というのがあります。あの烽火台をどうやってみんなに理解させていくか、そういうものに十分なご配慮をいただいて、そして観光資源として活用していただきたいといろのが私の願いなのです。

 

観光地が開発されて、新しいホテルやレストランの建物が建つことがあります。例えば観光開発により烽火台という素晴らしい景観がつぶれてしまうという事もなきにしもあらずです。私は遺跡というものは、周囲の環境と併せて保存していくということが一番大事と思います。最近、トルコのカッパドキアというところから首都のアンカラまで、車で移動しましたが、そこには現在でもシルクロードが残っています。そしてその途中に、キャラバンサライが残っています。その道は、昔、ペルシャのダリウス王が建設しました。それを次にアレクサンダー大王がペルシャを征伐するために、その道を通って、遠征して行った道なのです。その道は現在も周りの山、川など全てアレクサンダー大王が見たのと同じ景色を見ているのだという印象を、私はその道を通ったときに痛感しました。本当にこれは素晴らしい経験だと思いました。

中国でもそういうシルクロードがあるならば、それをやはり周りの環境も含めて保存しておいていただきたい。それで烽火台についても、あの烽火台から本当に次の烽火台との間に信号ができるのか、そこで一回実演でもしてみていただいて、烽火を上げていただき、それが遠くから見えるということが、実際に体験出来れば、細かく何も説明しなくても満足すると思います。本当に昔は大変だったんだなあと、そういうことで本当に交信が出来たんだなあということが体験出来るんだと思うんです。

そういう体験というものが、実は将来非常にその人にとって大きな人格形成に役に立つと思います。そういう素晴らしい観光資源が豊富にあるんですから、それを十分活用していただいて、この観光事業をますます盛大にしていただくことを心から願って私の話を終わりたいと思います。

 

 

 

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