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火災をめぐる法律責任の諸相(前)

――市民に対する防災教養の一環として――

茨城大学講師(非常勤)関 東一

 

序にかえて

俚諺「地震・雷・火事・親父」の防災上の意義

わが国の歴史の中で火がはじめて使用されたのは、旧石器時代の紀元前1万年以前のころといわれています。人間が火を発見し、これを利用したり支配することを知ってから、人間の生活は飛躍的に進歩し、今日の文明社会を築いた大きな原動力になっています。

大詩人ゲーテも「火は、これを守って有効に利用すれば、恵み深い力である。」といっているように、たしかに火は人間の生活を豊かにしてきました。しかし、このような恵み深い火であっても、その扱い方を誤ると、火災を起こし、尊い生命が奪われたり、営々として築きあげた財産や金銭に代え難い思い出の貴重な品々など一瞬のうちに灰燼と化してしまうようなおそろしい魔力を秘めているのです。西洋の諺が「火は良い召使(使用人)であるが、悪い主人(使用主)でもある。」といっているのは、この火のもつ二面性をいみじくも言い当てているように思われます。

ところで、みなさんは、火災などは私には関係のないことと思っているでしょうが、そこに可燃物があり、煙草、電気、ガス等の火気があれば、原理的には燃焼の可能性が生じ、しかも、火災にいたるような燃焼現象はその殆どが過失によって発生するものなのです。ところが、私どもの日常生活の場で、可燃物と火気に全く無縁な生活状況などは通常考えられません。

このように考えてくると、火災の危険というのは、常に私どもの身近な問題として認識しておく必要があるように思われます。

防災に関する日本の代表的な諺として「地震・雷・火事・親父」というのがありますが、みなさんは、この諺の意味をどのように考えているでしょうか。市販されていることわざ事典をみてみると、その殆どが世の中のこわいものについて、こわさの順に並べたものというような意味の解説がなされています。

しかし、単にこのような意味だけのものでしょうか。私には大いに疑問に思えるのです。何故かといいますと、ことわざというものは、その属性(共通的な性質)として、その中に人生における教訓事項が含まれていなければなりませんが、このような解説では何ひとつ教訓的内容が示されていないからです。地震とか雷というのは、自然災害、つまり天災ですから、私どもがいかに注意し、努力してもこれを防止することができない。いわば不可抗力的な災害です。したがって、このような災害に合った場合には、誰をうらむわけにもいきませんから、ある程度あきらめもつきます。これに対し、火災とか親父の小言(もっとも今どきの父親の中には、こどもがおそれるほどの権威をもった方が極めて少ないように思われますが…)などは、殆ど過失あるいは配慮不足(不手際)などの人為的な原因によってもたらされるものです。

したがって、これらの殆どは注意すれば防ぐことができる性格のもので、それだけに悔いが残ることになります。

このようなことから、このことわざの意図は、地震や雷などの天災の場合には別として、火災などの災害は、過失によって発生するも

 

 

 

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