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審査員(順不同、敬称略)

上山 春平(京都市立芸術大学学長)

中畔 都舍子(京都府連合婦人会長)

竹内 康(日本放送協会京都放送局長)

森 宥三(千葉市消防局長)

池田 勲(大阪市消防局長)

高橋 十四征(糸島地区消防厚生施設組合糸島消防長)

 

最優秀賞

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「被災者からのシグナル」

出動まもなく、黒煙が勢い良く上昇しているのが目に飛び込み、我々に挑戦しているかのように見えたのは、昨年夏の早朝のことでした。私が勤務する岩瀬消防署の間近で、火災が発生したのです。これが10時間にも及ぶ火災になろうとは、その時想像もしませんでした。火災現場では、プラスチックエ場の関係者数名が水道用ホースを使って、燃え盛る工場の奥に向かって、必死に消火作業を行っていたのです。ホースの延長を終えた私は、その人達に「危険だから、後は私達に任せて下がってください」と強い口調でいいましたが、その中の一人だけが、一向にその場を離れようとしないのです。

私は、再び大きな声で「早く下がって、早く!」と声をかけると、彼は奥の機械を指さしながら「あの機械だけは、どんなことがあっても燃やさないでくれ。あれが燃えると、この会社終わりなんだ」とせき込みながら、必死に私に訴えるのです。「あの機械だな」、「任せろ」とばかりに屋内に進入しました。男性は、その場で私達の消火活動を祈るように「じっ」と見守っていました。

しかし、そこは床に散乱したビーズ状の原料が、筒先を持つ私の足元をすくい、また、溶けた樹脂が放水によって固まり、燃え続けた熱気と黒煙が大きな障害となり私達を遮りました。「何としても、機械だけは守らなければ」と応援部隊と共に必死の消火作業の結果、機械への延焼をどうにかくい止めることができたのです。その時上司から、「次は倉庫だ。長期戦になるぞ、少し休め」との指示で、私も交替で休むことにしました。

延焼を免れた事務所前では、従業員によって炊き出しが用意されていました。

先程の男性が私を見つけると、事務所から飛び出してきたので、私は「機械は大丈夫だ」と伝えると、「おかげで助かりました。何とかまた、仕事ができそうです」と、私の手を握り何度も頭をさげ、事務所の中へ入っていったのです。

ふとその時、事務所の中の会話が耳に入ってきたのです。「あーあ、本当に困った。これからどうなるのだろう」自分達の工場が目の前で燃え、不安な表情を隠せない従業員の声でした。たとえ機械が助かったとしても、丸焼けした工場で仕事が再開できるのは、いつのことになるのでしょうか。この工場が、ここで働く人達にとって生活の糧であり、また、生きがいであったのだと、その時突きつけられたような思いがしました。

働く場が、 一人の勤労者にとって、その家族にとって、どんなに大切であるかということを、私は今まで考えたことがあったでしょうか。そんな人達の気持ちも知らずに、邪魔だとさえ思った自分が恥ずかしくなり、また私は、火災現場へ戻りました。

しかし、あの従業員の会話、「機械を助けてくれ」といったオーナーの姿が脳裏を離れないのです。「私は今まで、漠然と消火活動をしていたのではないか?」、「被災者の気持ちを考えたことがあっただろうか?」そう思うと、「人の心の痛みが判らないで、何が消防士だ」と、自分の考えの甘さが情けなく思われ、ふと振り返ると、先程の男性から機械のことを聞いたのか、焼け残った製品、原料を懸命に運び出している従業員の姿がありました。

私は、会社で働く人達の活気ある姿を見せつけられ、「よし、この人達の為に、何としてでもこれ以上被害を大きくしてはならないしと、決意を新たに倉庫の消火活動にあたりましたが、プラスチック製品が山積みされていたことから消火は困難を極め、10時間余りにもおよび、肉体的疲労は極限を通り越しているはずなのに、不思議と疲れを感じません

 

 

 

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