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乗組員一同は一層注意と努力を傾けて残された海上輸送の万全を期せ。

昭和三十三年二月二十四日

船長

 

第一次の予備観測は予期せぬ幸運に恵まれ成功しました。いよいよ本番である本観測での越冬に失敗したことは、いかに悪条件に晒されたとは言え、一次の成功に驕り高ぶり油断があったのではないか、と言われるのが悔しく残念でなりませんでした。しかし、予てからの持論であった空輸作戦に転換する画期的転機となりました。以て瞑すべきと言えましょう。しかし帰途にこの段階では、失敗への悔恨と、残してきた犬達への哀惜の情に苛まれ続けていました。

24日夕 NHKは南極向け放送で、稲田文部次官、茅学術会議議長 安西海上保安庁長官からの慰問・激励を送ってきました。心に沁みました。同時に送られてきた「六段の曲」は更に心に沁みこみました。

 

9. 氷中有閑 その1

オーロラについては、専門家の先生方が沢山いらっしゃいますから、そちらにお任せするとして、御承知の様に我々が南極で行動出来るのは、夏の間だけです。夏は太陽が沈まず白夜の状態が続いています。月も星も同じ様に昼間出ていても見えません。オーロラも同じです。そこで、我々が恵まれた状況ですんなりと氷海に進入し、基地の建設や物資の補給・観測などを終え、すんなりと氷海から脱出しますと、夜の出ない間に総て終わって終うことになります。南極行動としてこんなに良い事はありません。しかし、これでは基地で越冬する隊員は別として、帰る隊員や乗組員はオーロラを見る機会が無いわけです。

「宗谷」は第一次の帰途、2月15日から脱出の2月28日まで、氷海にビセットされました。2月も中旬を過ぎるとそろそろ夜が出てきて、太陽もお義理に沈む様な格好になり、我々を楽しませてくれます。

オーロラの出現は、各観測陣が観測の過程で察知します。「宗谷」では電離層の観測班がよく情報を流してくれました。

ブリッジにも「今夜あたり出そうですょ」…。南極新聞社辺りにも「今夜あたり…」 そして口伝てで船内へ…。これで皆、一応今夜あたりオーロラが見られるかも、土産話が…と期待に胸を膨らましてはいるものの、仲々皆のご期待に添う様な出方はしてくれません。壮烈な砕氷行動中ならともかく、待機中でも疲労は局限に来ている面々。「オーロラ…」「オーロラ…」と暖房の効いた部屋で… その内ベッドで……。ウトウト〜ぐっすり

「びー びー オーロラが出た 急げ、オーロラが出た 急げ」ブリッジの指令器を通じての緊急?放送。「はて…?」「おお そうだ オーロラ」かくてベッドから「急げ いそげ」の声に追ったてられ、褌一丁で-10度を超すデッキに駆け上がり、暫しその神秘的美しさに感嘆・また感嘆そして歯の根も合わぬ身震い・胴震いとクシャミで我に返り、幸運と不運に感謝し部屋に帰って行

 

 

 

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