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一方,“陸の世界”とは,アジアにおける古代文明の故郷である“中国的”世界と“インド的”世界?を意味している。これらの地域が中核となって,それぞれ東アジアと南アジアの個性的な二大文化圏が形成されたのである。

それでは,まず“海の世界”について述べることにしよう。

 

1. “海の世界”

すでに触れたように,ここでいう“海の世界”とは,島嶼部東南アジアの多島海地方である。そのため,面積の割りには海岸線がきわめて長い地域として知られている。

これらの地域は,13世紀頃から,イスラーム文明の洗礼を受け始め,今日では,人口のうえで,世界最大のイスラーム文化圏を形成している。

この地方の大部分は,生態系からみると,熱帯降雨林地帯に属し,豊饒なる自然に恵まれている。しかしながら,その一方で,周年高温多湿な生態系は,植生の成育にはきわめて好都合であると同時に,熱帯性の疾病の温床ともなっている。とりわけ,それらを媒介するハエや蚊が多量に発生するために,人々の生活空間は,広大なジャングルの中よりは,風通しのよい川筋とか海岸地方に限定されていた。そうしたことがこの地方が小人口世界になった原因のひとつなのかも知れない。

ここの先住民たちは,熱帯降雨林の豊かな天然資源や鉱物資源を採取したり,狩猟や漁業を中心に生活をしていたのである。

ところで,アジア多島海の人々が世界史に本格的に登場し始めたのは,前にも触れたように13世紀頃になってからである。その頃になると,この地方にイスラーム文明をもたらしたアラブの商人やインド商人たちが出没を始めた。かれらは,この地方の森林資源や鉱物資源を目当てにやって来たのである。そのため,まず沿岸地方に港町が開け,やがて輸出用の天然資源を提供した熱帯降雨林のジャングルへの川筋に村々が成長していった。このような歴史的展開によって,アジアにおける“海の世界”は,フロー(flow:流通)を中心に発展を始め,この伝統は21世紀を迎えようとする今日に至るまで続いているといえよう。

ところで,これまで触れてきたアジアにおける“海の世界”の中心部分である東南アジア多島海地方の生態系と社会的構造との関係について考えてみよう。それらは,アジアにおける“陸の世界”である“中国的”世界と“インド的”世界とは,きわめて対照的といえよう。

まず,豊饒な自然は人々を飢餓から救っている。分配関係が不平等な今日においてさえ,島嶼部だけではなく,東南アジアを全体的に眺めると,目を覆いたくなるような貧困は,あまり見当らない。貧しい人々でも,餓死をしたということはあまり耳にしたことはない。

さらに注目すべきことは,一年を通じて高温多湿なこの地方の生態系が,ユーラシア大陸中央部を根城としている遊牧民たちの侵入を妨げてきたことである。乾燥にして,冷涼な自然環境にはぐくまれたステップの遊牧民やかれらが駆使してきた馬は,東南アジアの高温湿潤な生態系には耐えられなかったのだろう。そこは正に熱帯病の蔓延していた土地なのであった。たとえば,13世紀に“中国的”世界を席捲し,日本列島にまでその侵略の鉾先を向けたモンゴール帝国でさえ,ベトナム地方への侵攻は断念せざるをえなかった。かくして,ユーラシア大陸を席捲した“ステップの暴力”も,東南アジアの地には,ついに及ぶことはなかった。

このように自然環境や社会環境に恵まれ,衣食住といった生物的必要条件と安全という社会的必要条件にも恵まれた人々は,これらの条件を欠いている“中国的”世界や“インド的”世界の人々と,世界観やそれにともなう社会組織の点で異っていたとしても不思議ではなかろう。

アジア多島海の住民たちだけではなく,東南アジアの大部分の地方から日本列島にかけての住民たちは,程度の差こそあれ,自然環境にも社会環境にも恵まれていた。そのため氏族や部族,さらにはカーストといった第二次集団のような蓄積体系や防衛組織を発達させる必要がなかったのであろう。むしろ,家族といった第一次集団やムラのような近隣集団の中に安住し,社会のシステム化にあまりエネルギーを費すことがなかったと思われる。そのため,自己もしくは家族中心型の非系的(双系的)?軟構造社会を形成したのではなかろうか。その意味では,インドシナ半島と呼ばれている大陸部東南アジアの社会も例外ではなかったようだ。これは,おそらく,東南アジアが全体として,小人口世界であったのと,人々の生活様式が採取,狩猟・漁業から出発し,その後も農地の開拓や通商などによる移動性の高い世界であったことも関係があるのかも知れない。

いずれにせよ,社会組織の面から見ると,アジアにおける“海の世界”と“陸の世界”は,きわめて対照的な世界であるといえよう。

それでは,つぎに“陸の世界”について一瞥することにしよう。

 

 

 

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