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塊の存在の確認,そして海図の読み方の実習を受けさせられた。そして,この実習の成果を学習指導に活かすようにとの達しがあった。

この時代の中学校理科の内容構成には系統性は無い。貧しかった戦後の生活を向上させるために役立つことを学習させるのがねらいであった。理科の学習理論や指導理念の論議よりも実践が重視された。

高校には,1948年に,物理,化学,生物,地学の4科目が誕生し,生徒は1948〜1955年にはこの4科目から1科目を,1956〜1962年には2科目を選択履修した。その内容は中学校理科ほど生活寄りではなく,どちらかというと物理,化学,生物,地学の学問体系寄りであった。海洋に関する内容は地学で扱われ,海洋学をやさしく取り上げた感じであった。海水の物理性,化学性,海流,躍層の存在,海水の侵食・運搬・堆積作用,起潮力と潮汐などが扱われたが,海の生物は扱われなかった。

 

2. 系統学習時代(中: 1962〜1971年,高: 1963〜1972年)

対日平和条約締結(1951年)直後から,生活寄りの理科はわが国の科学を骨抜きにするアメリカの陰謀であったとする教育界での非難が高まり,理科の内容は自然科学の体系に準拠した単純なものに変えられた。

この変革は,高度経済成長に伴う進学率の急上昇と相俟って,高校入試,大学入試に有効な理科の基礎・基本を体系的に学習させる風潮を高め,この観点からの余分な内容は削除された。先ず,中学校理科から海洋に関する内容が皆無になったのは印象的であった。

当時,高校理科は物理(5単位),化学(4単位),生物(4単位),地学(2単位)が必修であった。この地学は,地学的事象の時間変化と空間変化の扱いに力点を置いたことと2単位であったため,海洋教材の取り上げ方は皆無に近い状態であった。

 

3. 探究学習時代(中: 1972〜1980年,高: 1973〜1981年)

アメリカの科学教育改革の影響を受け,理科教育の本質は科学者の研究方法と科学の基本的概念を習得させることであるとする考えが日本列島を蔽い尽くした時代である。特に,中学校理科では「科学の方法」と称する指導法を定着させるため,教科書の記述までが,先ず問題を提起し,それを解決するための情報収集を観察・調査で行い,その結果を整理して一つのきまりを仮説し,それを実験によって検証して法則性をたてるようになっていた。このため,扱う教材は精選され,海洋に関する教材が入り込む余地は全く

 

 

 

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