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。¬hey live by TAIWAN

映画作家・陳國富 台北のいまを語る

◎インタビュアー:暉峻創三

脚本通りに撮ってるひまはない。

なぜって、台湾はこんなにも急激に変化しているのだから――。

 

台北で生きるということがこのような映画を私に撮らせた

 

―――陳國富(★1)さんの新作『徴婚啓事』はもうすぐ編集を始めようとしているとうかがっていますが、いつ完成する予定なのですか。

陳:98年2月です。

―――時間がかかりますね。

陳:ポスト・プロダクションも含めて12月と1月ですから、それほど時間がかかるというわけではありませんよ。この映画は、言わばドキュメンタリーのように撮影されたので、編集作業が複雑になります。

―――編集には困難を感じていますか。

陳:いいえ。ただ、私は撮影中はどう編集しようかという明確なプランを持ちません。だから私はいつも不安で落ち着かない気持ちになります。なぜなら、自分が次にどの方向に向かうかが自分自身で見えないからです。

―――今回は脚本に従うことなく撮影を進めていったと聞いていますが、なぜこのような実験的な方法で映画をお撮りになったのですか。

陳:私がこれを撮った理由は、現代の社会環境によるところが大きいと言えます。私は、この映画で実験的手法を試したかったわけではありません。私のまわりの状況、特に台湾の状況と台北で生きているということが、このような映画を私に撮らせたのです。非常に切迫した空気、常に変化し、しかもその変化が急激です。前の週に起こったことに追い付いたり対応したりすることがとても難しい。というのは、前の週に起こったことは、すぐ過去になってしまう。くる日もくる日も何か新しいことが人の身に起こります。たとえば昨日おととい起こった誘拐事件の顛末(★2)を思い出してください。過去1、2年の台湾は、このような状況にあるのです。これは、何か偶発的なことではないのです。必然なのです。なぜなら、社会全体あるいはメディア全体が、一種劇的なるドラマの方向に進んで行っているからです。実生活がドラマのようなのです。もしこのドラマを撮らないとしたら、私や他のフィルムメーカーは、感覚が鈍っているとしか言えません。われわれの執筆したドラマよりも、現実のドラマの方が良くできているのですから。より良くできていて、より堅固なのです。

―――そこで今回あなたは、まったく脚本なしで撮影を始めたのですか。

陳:脚本は用意しました。しかし撮影に入る前に、そこに書いた言葉を全部捨ててしまいました。私はクルーとキャストに「脚本はないから、忍耐をもってくれ。私につきあって辛抱してくれ」と伝えました。私は、自分がどこに行こうとしているのか分からない時期にありましたから。

―――では撮影はどのようにして進められていったのでしょうか。たとえば撮影の過程での様々な決定をしたのは、あなただけですか。それとも。

陳:決定をしたのは私です。しかしクルーと俳優の全員が、その決定に参加することができました。私は常に彼らに意見を求めました。「あなたはどう思いますか」「次にあなたは何をしますか」「今のほうがその前のより良いと思いますか」「エンディングはどうすれば良いと思いますか」など、いつも問いかけていました。でも撮影の3分の2までは質問をしていましたが、3分の2をすぎたらピリオドを打ちました。私は自分で決定をしました。というのは、そのころには誰も私に付いてこれなくなったからです。私はすぐ変更をするので、助監督は何をしたら良いか分からなくなっていました。例えば、私たちがエンディングを準備していた時のことです。私がやりたいと言ったエ

 

 

 

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