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なく、水をかけた。窓の下に駐車中の車は、熱のため近づくことも出来ず、動かせないままはや諦め、時々水をかける程度で、家を護ることに専念。どうにか消防の来るまで持ちこたえる事ができた。

やっと来た消防だったが、燃えている家に水をかけ始めた。もう焼け落ちようとする家に今更水をかけたってどうにもならないではないか。必死で怒鳴った。

「こっちだ―!この家の屋根に水をかけてくれ―!」

近代消防の威力は凄い。サーッとひと吹き、延焼の危険は去った。

隣家は全焼。風が無かったこともあり、我が家は外部の被害だけで奇跡的に延焼を免れた。残火の始末、鎮火後の現場検証、消防との対応、被害の調査など立ち会っているうちに夜が明けてしまった。心身ともにクタクタ。上から下までびっしょりになった身体は、夜明けとともに寒さがこたえる。

[中略]

今回の火事の原因は、隣家のストーブの消し忘れであるが、明治32年3月8日 法律第40号「失火の責任に関する法律」というのが未だに生きていて、火元は損害賠償の責任がないという。明治の時代は主として木造の市街地が広がっていた。一旦火事が発生すると次々に延焼し、一軒の火元の賠償限界を越えてしまう。そこで上記のような法律が出来上がったと言われている。家屋の構造、材質から言って、拡大する火事は極めて少なくなっている 現在、この古い法律の矛盾は心的被害を更に増長するものである。

[中略]

終りに、この度の火災で感じたことを一つ御紹介したい。

私は、一番良き時代に防災の研究をしていたらしく、野外実大火災実験を数多く手掛けるという好運に恵まれた。26棟もの家を燃すことが出来たのは、研究者として私の前にも後にも例がない。火がどのように拡大し、どこに延焼するのかを常に観察してきた経験がある。実験の火も確かに熱いし、危険であった。しかし、実験での私はあくまでも観察者(傍観者)にしか過ぎなかったということを、今回つくづく感じた次第である。

自分自身の生命と財産を侵すべく襲って来る火は、実験とは全く異質なものであった。当事者であるか、そうでないかの違いである。例えば、怪我をした人を甲斐甲斐しく介抱している人も、突き詰めて言えば傍観者にすぎない。当事者でなければその痛みや真意は解らない。災害も同じで、被災地でヒヤリングをする人も、復興計画をたてる人も、その多くは被災当事者ではない。災害の恐ろしさや物的、心的に受けた被害など当事者以外に解ろうはずはない。

現在、都市防災の研究には、消防をはじめ都市計画、土木、建築、構造、材料、地盤、振動、そして心理学、地球物理学、経済学、緑地学、報道など多くの分野の人が携わっている。皆、自分は防災の専門家と称しているが、上記の理屈からゆくと、多くは傍観者と

 

 

 

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