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5 おわりに  ―火災体験から一

 

1992年3月26日午前2時15分、北隣の家から出火、火元は全焼。我が家も物心両面で少なからぬ被害を受けた。

卒業式を明日に控え、夜遅く出張先の山形から帰京、卒業生の晴れ姿を楽しみに、床について間もなく、電車の無くなった息子からの電話で立川駅まで車を走らせる。家に着き車を車庫に入れて、部屋に戻ると時計は丁度午前2時10分を指していた。息子は風呂にはいり、私は再び床についてウトウトした途端、けたたましい声でたたき起こされた。

「前の家が火事だ一!!」

「何、前?」と思ったが、火事なら裏の家と常々頭にあった私はすぐ裏の勝手口へ走った。勝手口のガラスが真っ赤。開けるとすさまじい熱気が飛び込んでくる。裏の家は、既に炎が屋根より高く上がり、まさに火盛りであった。火事は静かに燃えるわけではない。輻射熱、熱気流、炎とともにその音が恐ろしい。ゴウゴウ、パチパチという炎上音、瓦の弾ける爆発音、戸板や柱の倒壊音などまさに悪魔の咆哮である。我が家に迫るその火の恐ろしさは恐怖そのものであった。

一番火に近い書斎の出窓があぶないと、風呂からバケツで水を汲み何杯か外に撒いてみたが、熱気のため家から外へ手も出せず、水は全く届かない。しかたなく扉を閉めた。火に対して何の力もない人間の弱さがなさけない。この火の勢いでは、もはや我が家へ火が燃え移ることは時間の問題と覚悟せざるを得なかった。燃えてしまうんだと思ったとき、不思議に生命に対する恐怖は感じなかったが、家が燃えるということ(営々として築いてきた財産が失われる、貴重な過去の記録が失われる、差し当たっての生活の場が無くなる)に対する恐怖は、今考えても身震るいするものがある。

玄関から表の道に出て行くと、道を隔てた向かいの奥さんが、垣根越しに家庭用の細いホースで、一生懸命炎上家屋に水をかけようとしておられた。しかし、燃えている家にはもはやなんの役にも立たない。もう手が動かないと言われるので、ホースを受け取り、後から出てきた息子に「うちの屋根にかけろ」といって手渡した。

我が家の軒先からはすでに煙りが出始めている。これまでの数多くの実大火災実験の経験から、延焼する場所は解っている。軒先が一番危ない。もう一刻の猶予もならない。しかし、消防はまだ来ない。バケツでは軒までとても届くものではない。その時、幸いもう一本のホースを出してもらえたので、先を絞って軒先に注水、手をジリジリとあぶられながらも放水を続ける。火傷寸前、頭から息子のホースをかけてもらい、軒の煙りも消えて、ひとまづホッとする。

野次馬がかなり多くなってくる。そのうち窓ガラスが割れる。延焼で恐いのがこれで、割れた窓から火が入ったら先ず助からない。これには慌てた。室内のことなど考えている間も

 

 

 

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