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2 樹木の防火効果―1   ―過去の事例から-

 

火に強い街を作る都市防火対策としては「燃焼の根本を断つ」に尽きる。その第一は、燃焼になくてはならぬ酸素の供給を断つ、すなわち空気の遮断。そして第二は、水の気化潜熱を利用する方法、すなわち冷却である。これらの方法は消防戦術として古くから現在までも有効な方法として用いられている。一方、我々が注目したいのは第三の方法である。街を燃え難い構造、材質とするほか、燃える恐れのあるものを存在させない、或は、空間を設けて類焼を阻止しようとするもので、いわゆる不燃化である。これには「構造物の不燃化」と「空地の配置」がある。どちらも燃えないものを配置するわけで、筆者は、前者をハードな不燃化、後者をソフトな不燃化と称している。

 

1)我が国最古の防火空間

ソフトな不燃化の歴史は古く、718年の養老律令のうち倉庫令第22のなかに既に見ることが出来る。曰く、「凡倉、皆於高燥処、置之。側開池渠。去倉五十丈内、不得置館舎。」。これは、倉庫周辺には防火用水利を備えたうえ、他の建物からの類焼を防ぐため、50丈の空間を設けるべきことを示している。これが我が国最古の防災対策と云われているものである。倉庫配置に際し防火を配慮すべきことを規定しているこの令の後半は、特に空間についての基準を示している。史上最古の防災対策は、「空地による防火対策」なのである。

 

2)江戸の防火空間

江戸時代266年関は、火災が多発した時期で、ために各種の防火空間が設けられたのもこの時代である。幕府は多発する火災を防ぐべく、極めて厳重で肌理の細かい制度を設けたが、燃え易い江戸の行を火災から守るには「空地」を置くことが最も有効な方法であった。

江戸の街の空地を「明地(アキチ)」という。繁華街にも、川端にも、道の結節点にも、広狭さまざまな明地があった。明地は、遊園地や公園ではない。何も置かず、何も造らず、文字通りの「明いた土地」であった。明地は、その用途により、会所地(カイショチ)、河岸端(カシバタ)、突抜(ツキヌケ)、火除地(ヒヨケチ)、広小路(ヒロコウジ)などと呼ばれている。

「会所地」は、江戸の区画割りとともに成立した周りを町で囲まれた明地である。街路で区切られた1区画は、経・横各々60間、屋敷地は街路に面して間口をもち、総て奥行きは20間に決められている。従って、区画の中央に四カ町に囲まれた出口を持たない閉鎖された20間四方の空地が残される。その後、明暦の大火を契機に、火災対策からここを貫通する道がつくられ閉鎖性が解消された。この新道の開設により会所地には新たな機能(防火)が加わり、明地としての価値を高めることとなった。

「火除地」は、防火のために特に指定された明地である。江戸の大火の要因である「乾の

 

 

 

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