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2. セッション1「日本の経済成長と運輸政策」

大阪産業大学 経済学部 今野修平教授

 

最初に、日本における運輸政策が政策的にどのように決まるかということと、戦後50年にわたる運輸政策の変遷を振り返ってみます。まず、確認しておきたいことがあり、そのことを少しお話します。運輸という経済現象に対して、資本主義経済体制をとっている日本は、政府が利益を上げる行為を行うことが禁じられています。資本主義体制では、生産、販売、サービスの提供は、すべて競争原理のもとに民間企業が行うことになっています。

ただし、これらの経済活動を成立させるために、利益を上げられない領域が残ります。その一つが社会資本―インフラストラクチャーの整備です。それ以外には、教育、福祉とかの領域が残りますが、それを政府が行っています。したがって、戦後50年の歴史の中で日本経済が大きく発展した主役は、民間の活動、経済学的に言うと、市場メカニズム、マーケットメカニズムによって発展しました。マーケットメカニズムは、私たちが政策を考えていく思考以上に、大きな力を持って独自にどんどん動いていきます。したがって、政策は、そうした意味では失敗するケースが圧倒的に多いと思います。マーケットメカニズムを動かしていく原動力、メカニズムをアダム・スミスという学者は「神の見えざる手」と言いました。私たちは神様ではありませんし、私たちには見えない手で動いていますから、失敗するケースが多いわけです。したがって、神様以上のことをして引きずっていこうということは、私たちは一切考えていません。できるだけうまい競争をやらせようということと、競争の結果出てきたひずみを補てんするということが私たちの政策の基本です。少なくとも日本では、今までそのような政策運営が行われていましたので、一応事前にその点をお断りします。

さて、日本が、50年前に戦争ですべてを失った後、いろいろな国民の努力で今日ここまで豊かになることができました。それは、図-1の棒グラフにあらわしたように、特に1970年以降、世界経済の中で大きな役割を果たすだけのものを手に入れることができました。具体的な数値は、表-1に示します。人口、GNPその他いろいろ入れてあります。率直に言って、この経済成長は、工業化に成功したために得られました。

したがって、現象面では、農業国から工業国へ転換したことになります。経済学の理論、特に19世紀から20世紀初めに立てられた理論からしますと、工業化に成功するには、鉱物資源が大変重要であると言われていました。それで、世界の各国は、みずからの工業化をするために、鉱物資源を獲得することを主目的に、19世紀と20世紀前半は帝国主義に走ったわけです。

 

 

 

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