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民間と行政のそのようなせめぎ合いが奇妙に合致して、その成果を受ける人々の生活を満たしてきたように思えます。その裏には、大都会特有の空間の狭さから、民間による地域福祉に頼らざるを得ない事情があったでしょう。いずれにしても、大阪市の障害者福祉は、民間の旺盛な活力によって生み出されてきました。

それにしては、グループホームの数はまだ多くありません。やっと昨年の春(平成9(1997)年)に公費による「地域生活支援センター」が発足して、その積極的な推進に拍車がかかりました。それ以降直ちに、重い障害をもつ人々を主にした5ヶ所のグループホームが誕生しています。もちろんそれ以前にも、これに類する生活の場は各所で始められていました。

上記の「地域生活支援センター」もまた、大阪市の施策に特有の、受益者のニーズに的確に合わせた格別なものです。その仕組みについて、まずお伝えしましょう。

 

(2) 「地域生活支援センター」の仕組み

仕組みは三つから成り立っています。一つは、企業に就職している人たちが地域でひとり立ちするための「長期(1年間)の共同生活体験」です。これは一般に通勤寮と呼ばれる自立生活訓練を意図した機能をもっています。これを体験した後、多くの人たちがグループホームへ移行します。

ちなみに、グループホーム制度の発端は通勤寮でした。通勤寮は20名の定員で、昭和46(1971)年に発足した当初は、企業就労ができる比較的軽い障害をもつ人たちの、いわば大型のグループホームと考えられていました。後に、昭和54(1979)年に福祉ホーム制度(定員10名)や平成元(1989)年にグループホーム制度(定員4名)が生まれて、通勤寮の機能は自立訓練の場へと大きく様変わりします。そして、そこで生活していた多くの人たちが、次第に少人数の生活形態へ移りました。ですから、いまでもグループホームの入居者の大部分は、企業で働く人たちが占めています。

支援センターがもつもう一つの機能は、主に重い障害をもつ人たちを対象にした「短期の共同生活体験」です。これは、小集団による1週間の自立的共同生活を、各人が毎月定期的に1年間にわたって繰り返し行うものです。介助が必要な人には職員が常時付き添います。そして、それぞれの能力に合わせた、緩やかな積み上げ方式のプログラムに拠って、グループホーム生活に向けた「親離れとその人なりの自立」が徐々に進められるのです。

 

(3) 自立への緩やかな順路

地域での自立的生活を求める対象は、企業に働く障害の軽い人たちだけに限りません。むしろ、作業所などで働く障害の重い人たちの地域生活こそが、いま強く推し進められなければならないでしょう。

しかし、重い障害をもつゆえに、家族の温かい庇護のもとで暮らしてきた人が、その絆を断って、他人の中で生きようと決意するのは並たいていのことではないはずです。一方、親にしても、いたいけな子どもをいきなり他人に託すのは忍びないに違いありません。そこへ至るまでには、親子共に、それなりの「緩やかな順路」が必要なのです。

上記の「1年間にわたって定期的に繰り返される、短期積み上げ方式の親離れ自立体験」は、昨年(平成9(1997)年)から始められましたが、当初24名の定員にいきなり6倍以上もの応募者がありました。この種の援助がこれまでまったく欠落していたこと、しかもこれこそ親たちが最も待望していたものであることを、私たち援助者が痛感させられた数字です。

私たちはここでも、家庭か施設かの場合と同じように、家を出るかとどまるかの二者択一を、意図せず彼らに押しつけていたのです。家庭とグループホームを行き来することに、なんのおかしさも間違いもないのでしょう。

 

 

 

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