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制度上は、9ヶ所36人であることは間違いないのですが、彼らの希望と運営側の工夫とで現状があり、本人の多くは「グループホーム」という枠を意識していないことも確かです。

つまり、制度を利用しながら彼らのニーズを中心に変化し続けた結果、今では「暮し」そのものが地域と本人にしっかり根づいたということになるのでしょうか。

 

グループホームそれぞれの点描を順番に紹介していきます。

 

1. 「ハイツドリーム」に住む人たち

 

最近、新築された2階建てのマンションです。1階右端の入口階段の両側の2戸を借りて、右側に女性2人、左側に男性2人が住んでいます。どの人も40代で、この人たちが、制度上最初のグループホーム(平成元(1989)年開設)の住人達です。以前から利用していたマンションが古くなり、ドアの立て付けが悪くなったので、ここに引っ越してきたのです。

どこからも太陽が差し込む明るさが感じよい、3LDKという間取りです。右側の女性の住居が世話人さんの活動場所になっており、玄関脇の2部屋を個室に、奥の10畳のダイニングキッチンと続きの6畳を居間にしています。どちらにも、大きな石のテーブルが配置され、ゆったりとした雰囲気です。左側の男性2人が住む部屋も同じ間取りですが、ゲストルームを一つ取ってあり、いつでも来客を迎えられるようになっています。

世話人さんは、女性の住居の広いダイニングキッチン(16畳)で毎日食事をつくったり、話し合ったりしていますが、実は7人分の食事をつくっているのです。

というのは階上に、もう1戸、若い男性(20歳前)3人が住んでいて、その人たちの食事もここの世話人さんにつくってもらっているのです。初めは、住んでいる人達みんなの意見で「にぎやかに食べる方が楽しい」ということになり、老若男女そろって7人でワイワイガヤガヤと食事をとっていましたが、今では、特別の場合を除いて、階上の若い人達は食事を自分たちの住居にもって行き、別々にとることが多いとのことです。

この形は、最初から意図したものではなかったのですが、たまたま、地域で暮らしたいという若い人の希望があったこと、ほとんど問題なく落ち着いて暮らせるようになった4人の食事の世話だけに、今後も丸々1人の世話人が必要か…と考え、生まれたものです。世話人は、常時7人の食事と3戸分の住居管理の手助けをしていることになります。

世話人は、バックアップ施設(若竹通勤寮)の派遣する代替えによって、月9日間の休日が保障されています。また、必要な就労支援とか、生活支援上の工夫などは常に通動寮が関わっています。

「ただいま!」

「お帰り!」

階上の平山くん(19歳)は、挨拶のあとすぐに背中を向けて上に行こうとしました。

「あら、逃げよるん?」

「ちがうよーォ。」

「池田(平山君のいた施設)のセンセも来るよ。」

日曜日に行われる県主催のスポーツ大会への参加不参加が話題になっているらしいのです。

「うーん…、どーしょーかな…?」

「行こうよ、行こうよ!」

階下の女性の住人、堀田さん(50歳)と川西さん(40歳)が平山君に行事へ参加することを勧めています。平山君は、仕事があるから、と言って、まだ決心がつかないようです。世話人の吉田さんは、みんなで行こうよと声をかけています。

こんな玄関先での会話の途中、彼は、部屋の中に私が座っているのを見つけました。「こんにちは!」

「あ、かわのさん、おひさしぶり!」

「そうね、元気?」

「はい、元気です。」

 

 

 

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