の、誰かの家の玄関やテーブルを飾ることのできる花ばかりであった。今にして思うと私達のこのような選択には、花を見て楽しまれるであろう方がそこにいらっしゃると疑っていなかったことが感じられるようである。
上で私は「御遺体」と書いたが、実習の期間中には私達はそのようにお呼びすることはなく、いつも「おじいちゃん」と呼んでいた。私達がお相手させて頂くのは「おじいちゃん」なのであって、「御遺体」なのではなかった。
おじいちゃんとはたくさんのことをお話したものである。実習の始まりと終わりの御挨拶はもちろんのこと、その日の授業のこと、花のこと、天気のこと……おじいちゃんが医者でいらっしゃって、亡くなられたあとに東京からお迎えしたと聞いてからは、自分達の大先輩として病気のこと、解剖学的なこと、沖縄へのお客さまとして沖縄に関することなど、話題に事欠くようなことはなかった。特に実習中にミスがあったときや、試験の出来が思わしくないときなど、お叱りがとんでくるような気がして「おじいちゃんに怒られる」と実習生同士で囁き合うことも多くあった。
私達にとって、おじいちゃんは花を愛し、不出来な学生を叱りながら教えてくれる先生でいらっしゃった。失礼を顧みず親しく「おじいちゃん」と呼んでいた私達は、おじいちゃんを単なる御遺体として、私達とのあいだに幽明の境を引いてしまうことに違和感を感じ続けていたのであろう。御家族の許に、東