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りやらなければと思うと同時に、この厳しい試練に立ち向かうことが出来るのだろうかと思ったのである。そんな複雑な気持ちで迎えた実習初日から三ヵ月間、私の解剖実習は続いた。

解剖実習が始まってからの私の生活は、まさに実習中心であった。というよりも、私の興味のすべてがこの実習だけに注がれたといった方がよいのかもしれない。御遺体は私達に対して人体の巧妙さや素晴らしさをお教えくださるものの、 一方は絶えず疑問を投げかけられる。その度に私は自分の不勉強さを感じ、反省するとともに、人体とはなんて奥が深いのだろうかと感心した。日頃何とも思わずにしていた何気ない動作の一つ一つが、様々な器官の運動によって支えられた複雑な仕組みで成り立つことを知ったときの感動は、特に大きなものとして心に残っている。けれども反対に、人間の個性とはいったい何を指すのだろうかと真剣に考えたことも事実である。人体の構造が皆同じであることは当然だが、構造の同じ人間にもそれぞれ異なった個性がある。そこで私は個性とは一体何であるのかと考え、それは自分が考え、思い悩むことによって次第に培われていく特性ではないかと思った。だからこそ私は、御遺体から感じた様々なことを、自分の心にとどめておきたいと思う。この解剖実習を通じておじい様が私にお教え下さったことを胸に、常に考え、そして疑問を抱く姿勢を失わない医師になりたいと思っている。

 

 

 

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