人一倍の怖がりで泣き虫の私が、 一度も遺体を気持ち悪いなどと感じもせずに解剖を始めることが出来たのだった。ご遺体に向かい、そして触れたその時から或る種の使命感を感じた故かもしれない。
メスを入れ、ピンセットを使う度に、私の知らない世界が広がっていく。机上の学習ではよく解らなかったことも、実感として理解されていく。私はご遺体から色々なことを数多く学ばせていただいた。
約二ヶ月半、長くもあり短くもあった実習も終わり、ご遺体との別れが来た。その日初めて、私は、そのご遺体が「○○○○」さんであることを知った。
解剖実習中、彼女は、私の中では人間ではなかったのかも知れない。皮膚にメスを入れても骨をけずっても痛みを訴えなかったから。でも私は今ようやくこのご遺体の名を知った。そしてご遺体は人間になった。
納棺の時に彼女の遺品をさがしたが何処にも見つからなかった。九十二歳の彼女の棺はとても寂しく思えた。くやしくて腹が立った。
私達四人は、彼女に、最高の敬意である白いスィートピーの花束を捧げ心からご冥福を祈った。「ご苦労様。本当に有り難うございました」きっと通じているだろう。
「○○○○」私は此の名を忘れない。