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安楽死に思う

藤井 礼

今、大きな社会問題となっている尊厳死か安楽死か。むつかしい問題だ。かけがえのない命の問題であり、本人(死者)しか経験しない、参考に聞くすべのないこの世からあの世への引越しだから……。

医者の手を借りて、助かったと思っている人もあるだろうし、大きなお世話と思って引越した人もあるかも知れない。死人に口なし……。

生きている者の考えで、又事前の相談なく処置することには、悔いが残る。

されば、せめて生前にこれだけは必要条件だろうと、私なりに考えてみた。本人・家族(身内)・医者の三者との平素のかかわり方を根底にして……。

死の話は、家庭では殆どしないだろうし、又したくないものだ。他人は死んでも、自分は死なないと思っている人もあるようだ。「お迎え。お迎え。」と口癖のように死を待っている人もあるが、結構長生きしている。寝たきりでも、足をひきずりつつも。

生きていることはありがたい。しかし苦しみもつきまとう。自分の死に方が分かれば悩まないが、なぜこの世に生まれたかが分からぬようにどんな死に方をするかは、偉人といえども予知し得ないことだ。

したがって、同じ死ぬなら、悲しいが悔いなくさわやか?に死にたいし、送りたいものだ。

その為の条件として、生前に最悪の状態をいろいろ想定し、死の決定権は本人であるとの上に立って、家族との話し合いの中で記録しておくことが大切であり、医師とは、本人も家族も(介護者も含む)平素から、よく通じ合っておく必要があるのではないか。ただし、他人がかかわるときは、その人への信頼度の高いことも、大事な条件の一つだ。そして、安楽死に至るときには、三者立ち会い納得の上処置すべきは言うまでもない。

このように、したくない話題とはいえ、誰しも死を迎えることが確実であるとすれば、機会をみて元気な時にこそ、家族と話し合い、後くされのないよう、立つ鳥あとを濁さず、安楽国へ引越したいと思うのである。

今、元気で生きている私だから、こんなおこがましいことが言えるのかも……。

できれば、あの世からのメッセージがほしい。

(安楽国とは仏教用語)

 

 

 

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