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経過 ? で重要なことは心臓停止が蘇生限界点の前にあることです。心臓停止三十分後の蘇生が現実にあったのですからこの順序の経過が正しいと思います。人は経過 ? で死ぬとの考えが正しいならば、臓器移植にはまことに都合が悪い。心臓停止の後しか移植ができませんから、腎臓の移植は可能でも心臓の移植は困難でしょう。心臓停止前の脳死判定は脳機能の「一時停止」を「不可逆的停止」と間違っていることになります。仮に脳死判定が間違っていても、非常に重い後遺障害をもって蘇生した場合にはその時に死なせてもらった方が良かったと考える人も多いと思います。私も低体温療法を知るまではそのような考えでした。しかし、低体温療法では後遺障害なしに蘇生する事が多いようです。後遺障害なしの社会復帰ができるのならば脳死判定や臓器移植はより慎重に行うべきでしょう。

経過 ? 以外にも死へ至る経過は考えられます。いわゆる脳死者の場合、死への経過は次の経過 ? が考えられます。

経過 ?

一、呼吸停止

二、蘇生限界点

三、脳機能の一時停止

四、脳機能の不可逆的停止=脳死=心臓を含む多くの臓器は未だ死んでいない=人の死?

五、心臓停止

この経過 ? で四の段階を越えた人は脳死者とされ臓器移植を行うことができます。

人工呼吸器が開発されたとはいえ救命医療としては不完全で、意識不明で呼吸も止っている患者を治療することに積極的な意義を見出し得なかった医師にとって、一方に臓器移植により助かる患者がいれば、経過 ? で死んで行くようにしか思えない患者の臓器をもう一方の患者に移植して救いたいと願うのは医師としての自然な気持ちでしょう。しかし、自然界は厳しくて人間の願望通りにはなっていず、ほとんどの人は経過 ? ではなく経過 ? を経て死ぬのでしょう。例外的に経過 ? で死ぬ人がいるかもしれませんが、その場合は脳死判定をより厳格に行うべきです。現行の脳死判定は脳機能の停止を調べるだけで、停止が「一時的」か「不可逆的」かを直接には検査していない。もちろん間接的には「不可逆的」と判定しているのですが、説得力は弱いと私は思っています。「不可逆的」の判定のためには脳血流が完全に止っている事の確認が少なくとも必要です。非常に微少な脳血流も完全に止っている事を検査するのは極めて困難ですが、もし心臓が停止していれば脳血流は完全に停止しているとは言えます。(逆に、脳血流が停止していても心臓停止とは限らない)。ここで「脳血流の完全停止」の検査方法が確立されるまでは、脳死判定基準の中に「心臓停止」を入れることを提案したい。この提案では、臓器を移植するときは、経過 ? の死者も経過 ? の死者と結局は同じ扱いになります。臓器移植は非常にやりにくい。しかし、人間の生死と臓器移植とのどちらを優先すべきかは明らかです。これから十年間程度は心臓停止後の臓器移植のみを行なってはいかがでしょう。

低体温療法があまり知られていない時に、論理思考だけで「脳機能の不可逆的停止」とは「脳細胞の器質的死」であるとした立花隆氏は慧眼です。立花隆著「脳死」と「脳死再論」のご一読をお勧め致します。

低体温療法に積極的な意義を見て、救急医療の分野で活躍される医学生が京都大学からも多数育たれるよう祈ってやみません。

 

 

 

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