日本財団 図書館


ワークショップ

?「こどもの創造エネルギーを引き出すアート」

11/9

 

◆藤野忠利(ふじのただとし)

画家・現代っ子センター主宰

 

■プロフィール

 

1936年9月23日、宮崎市生まれ。子どもの頃から絵が好きな子で、終戦のとき持っていた、たった1個の「王様クレヨン」を大切に絵を描いた。宮崎県立大宮高校在学中は、一度も絵を描かなかった。立命館大学経済学部に入つて、すぐに立命館美術研究部に入部。京都市美術館で8回の展覧会へ出品、主に抽象画を描いた。学生時代早くも京都市の子どもたちへ呼びかけて、美術館前でスケッチ大会を開いたり、下鴨の下宿で子ども絵画教室を開いたりした。

1961年、宮崎交通株式会社へ入社、観光宮崎の岩切章太郎氏のもとで企画宣伝を担当し、岩切イズムを学ぶ。

1970年、えびの高原で「2週間のテント生活を体験」。生きる能力を高めた。

1973年、現代っ子センターを開設。現在に至る。井深大氏、岩切章太郎氏を迎えて「えびの高原造形教育移動大学」を開く。

1974年、小林茂氏の「桃の木教育研究会」「あしのこ学校」へ参画。

1975〜79年、宮崎市で毎年夏に「青島スコーレ」を開く。

1973〜74年、日米児童画交換展を宮崎市とロサンゼルスで開く。

1979年、国際児童年日仏児童画交換展をルーヴル美術館と宮崎で開く。

1995〜96年、わたぼうし語り部芸術祭のステージ幕制作。

1979年、「大入」を持ってナイル川を舟で上り、王家の谷やスフィンクス・ピラミッドなどでラクダと「大入」と遊ぶ。

「へたも絵のうち、みんなガンバレ」を合言葉に現代っ子センター150名のメンバー(3才児〜高校生)と面白アートを制作。現代っ子センターは、「教えない、困らす、不便を与える」をモットーに創作している絵画道場。来年で25周年になる。

 

■要旨

 

遊び心から絵心を引き出そう

 

「よく遊び、よく学べ」と言われながら、昔ほどには遊ぶ余裕がなくなった今の子どもたち。そんな時代風潮の中で、絵画道場「現代っ子センター」を主幸、25年以上も「遊び」をキーワードにして幼児、児童教育に取り組んでいます。

藤野さんは幼い項から絵が好きでした。大学は経済学部、クラプは美術研究部に籍を置き、宮崎交通(株)に就職後は、企画宣伝課に配属。子どもたちの遊びの企画を子どものくにで開いたりするうちに、「本格的に子どもと関わりたい」と思うようになりました。

1973年、石油ショックを機に脱サラ。「いい子も悪い子も皆が集まる場所」という意味で名付けけた「現代っ子センター」を同年4月に設立しました。そんな体験を話します。道場は現在県内7カ所にあり、3才児から高校生まで約150人が“遊び″に来ます。

遊びを通して感性を伸ばし育てるのが理念ですから、最も大事にしているのは「教えない」ことです。遊びを教えたら学習になります。絵を教えたら教育になります。

子どもたちはその時々のテーマの下、気ままに色をぬったり、木切れをくっつけたりして遊びます。藤野さんは技術的なアドバイスはしません。ただ、ひたすら作品を褒め、励まして廻るのです。「わからない、どうしようと自分で考えることが豊かな発想につながる」=第二に、「困らす」。第三に「現代っ子に不便を与えること」と藤野さんは言います。

25年間で多くの子どもたちが巣立ちました。今では大学生になったOBがセンターの講師や助手を務めています。母親の絵画サークル「5分間アート」も発足し、その輪が広がるばかりです。

現代っ子センターで「遊び心」から「絵心」を5〜10年と育てる子供が多い中最近は1〜2年とサイクルが短くなったそうです。「今の子どもは時間と時間のはざまで生きているようです」。本来、子どもはひまで遊び上手なはずですが、と藤野さんは複雑な気持ちになります。

それでも、センターにはいつもにぎやかな声が絶えず、子どもたちの表情は明るく元気です。藤野さんは言います。「センターは子どもの解放区であり、“通草”がたくさん生い茂っている場所。わたしはその道草に肥やしをまいているだけです」。

スライドは、絵を描かなくてもアーチストになれる!「大入クン世界飛び歩き」。おもしろアート140枚を見ていただきます。

メイルアート(郵便芸術)、5分間アートも併せて遊んでもらいます。いらっしゃい!いらっしゃい!大入だよ。

 

 

 

前ページ   目次へ   次ページ

 






日本財団図書館は、日本財団が運営しています。

  • 日本財団 THE NIPPON FOUNDATION