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で赤い火柱が十数本。倒壊家屋の下では恐らく大勢の人々が我々の助けを待っている。なのに、火勢は無情にも倒壊した家屋を飲み込むように拡大してしいく。各現場へポンプ車1台すら配置できない。救助活動と延焼阻止、現状の部隊でこの双方を成し遂げるなどとても不可能である。考えられる手立ては全て成し、足が前へ出なくなるまで活動し続けた。一夜明け、二夜明け、極めて危険な環境下で、しかも終息の見えない長時間の活動、救助の声に全て応えられなかったことからくる無力感、絶望感が肉体的にも精神的にも疲労感を高めていく。すでに人間としての限界など遙に超えていた。それでも、誰一人、根を上げるものなどいなかった。この時、私は消防職員としての使命感、責任感の源―消防魂―の素晴らしさを痛感した。

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救出困難

神戸市灘消防署 消防士長 吉田―志

 

1月17日5時46分、仮眠中の我々は突然の激しい揺れに襲われ、何が起こったのかわからないまま、外に飛び出した。私たちの目に映ったのは、倒壊した家屋と救助を求めて駆け寄ってくる人々の姿であった。

火災現場で逃げ遅れがあり救助隊を要請する無線を傍受し現場に到着するも、火勢は強く消火栓からの水も出ず、火元からの救出は断念せざるを得なかった。

付近建物の人命検索を2名1組で行うよう指示し、付近を検索すると倒壊した隣接共同住宅内に3名(1階2名、2階1名)の要救助者を確認、危険度の高い1階の救助を優先して開始した。しかし、手持ちの資機材は検索棒1本とライトのみ、足元も不安定であり、作業は困難を極めた。要救助者の声や家族の証言を頼りに位置を確認し、壁を破り床を剥がし、収容物をひとつひとつ取り除きながら徐々に近づいていく。活動の合間に何度も余震にみまわれ、次に大きな地震が来れば2次災害が起こる事は確実である。しかし、助けを求める声が聞こえる限り止める訳にはいかない。やっとの思いで1人を救出した。残りの2名も早く救出しなければと、隣で作業をしている隊員に声をかけると、「タンスが体の上に倒れ、さっきまで動いていた要救助者の足が動かなくなってしまった。」との返答があった。家族の手を借りながら、救出したときには、既に息絶えていたが、救出に歓喜する家族を前に「しっかりしろ、もう大丈夫だ。」と声をかけるしか出来なかった。

この後、何件も救助活動を実施したが、機材が使えない、又フルに活用してもどうにもならなしヽことや、人手が足らすに救出に時間がかかったことも多くあった。今回の活動で一瞬にして大勢の命を奪った自然の猛威に驚き、今ある資機材と技術を自負し、今まで行ってきた訓練とは勝手が違う現状に、我々がいかに無力であるかを身をもって感じさせられた。

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阪神大震災に伴う神戸市応援派遣を終えて

大阪市消防局 消防司令補 出水静雄

 

1月17日16時05分、大阪市からの第二次応援派遣隊(P、T計10隊)の小隊長として神戸市の長田消防署に到着。すぐに長田区の災害状況の概略説明及び長田区水笠通4丁目一帯の火災防御任務を受け、活動を開始した。

地震発生時より一部地域を除く全消火栓が使用不能のため、水源確保より着手しなければならなかった。まず、消防署西側を流れる新湊川沿いの公園の土を掘削、袋に詰め込み数十個の土嚢を作成。これを新湊川の川底に積みあげわずかに流れる河水をプールし、ここより消防車

 

 

 

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