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詫びと報告を隊長にしたいと隊員に申し出たら、護衛艦の中に招かれた。意外な事で驚いたが、ともあれ隊長にお礼を述べる。なお、護衛艦は「くまの」および「よしの」といい、横須賀から来たそうである。 区役所に帰着後は再び物資の上げ下ろしを行った。23時〜:23時になって一時帰宅が許される。自転車で実家に帰る。

 

◎1月20日

12時〜 :出勤、再び物資の上げ下ろしを行う。この日も泊まり込みで作業をおこなったが、具体的には記憶がない。

 

◎その他

地震当初の記憶はかなり詳しいが、2日目、3日目になると、記憶が薄れている。護衛艦に行ったのも、もしかしたら18日の出来事だったかもしれない。

この後も続いた混乱の中での作業では、区長や課長など上司の判断を仰ぐことが出来るケースが、物理的に普段より極端に減っていた。つまりそれだけ自分自身の判断によって行動する必要があったわけである。事実、無理に上司の判断を仰ごうとするより、自分で即断して行動した方がうまくいくケースが多かった。また、上司にもあらゆる要望等が殺到しており、上司の負担を減らす意味でも、自分で判断することの重要性が感じられた。

しかし、自分よりー人でも上席の人がいる場合は、その人に判断を仰いだ。その場合その上司が区長なみの判断を迫られる場合もあったが、ここでもそこで上司が即断された場合はうまく事が進んでいた。このように混乱している場合は、そこにいる最も上席の人が判断しなければならないように、普段から意識させておく必要があるのでは、と感じた。

 

のんきな職員T

 

M.T.

 

ぐっすり寝入っていたそのとき、とてつもない異常を感じ、目を覚ました。まだ寝ぼけている。どうも建物全体が揺れているらしい。わが家に自動車が飛び込んできたのだろうか、胸の上に大きな木の箱らしきものが落ちてきた。「なんだ、どうしたんだ?」、暗くてハッキリしないが、たんすの上に置いていたスピーカーボックスらしい。建物はまだ大きく揺すられている。やっと理解できた。「これは地震だ!」こんな大きな地震は経験したことがない。わが家がつぶれる、「ああだめだ。」と諦めかけたそのときやっと揺れが止まった。わずか10数秒間がこんなに長く感じたことはない。「やれやれどうにか建物は建っているな。」、まずは一安心。「大きな地震の後には、余震が来る。」という乏しい知識を思い出した。こうしておれない、家族をたたき起こしてすぐ屋外へ出さなければ。さてと、まずせがれの寝ている部屋をたたいた。もぬけの殻である。さて次の部屋、だれもいない、はてな?。「お父さん早よ出てこな危ないぞ。」という声に、あわてて屋外へ出た。自分以外は直後に全員既に屋外へ退散済である。少々のことではこんなに朝早く起きるはずのないせがれは「真先に屋外へ飛び出した。」と言う。とてつもなく大きな地震だったのだ。────なんとのんきな自分か、やれやれ。────ひとまず屋外へ退散した。さてこれからどうするか。しばらく屋外で様子をみよう。しばらくすると余震があった。これで大丈夫だろう。ひとまず建物の被害状況をみてみよう。懐中電灯を探し出し、ぐるっと一回り。ずいぶんと物が散乱しているな。建物本体はどうやらとんでもない被害状況ではないらしい、やれやれ。「ううん、妙なところ(玄関扉下)から水が流れ出している。はてな?」。扉を開けると、足元に金魚が寝ころがっている。水槽が壊れて金魚が玄関土間へ投げ出されているのである。すぐ気づいていれば助かっていただろうにと思いながら、埋葬してやろうと拾い上げたら、なんと、ぴくぴくするではないか。あわててバケツに水を用意して入れてやると、10数匹全てが生きている。気温が低かったので助かったのかな?。一安心した。しかし、このときどうも水道の出がおかしいと感じた。もう一度蛇口をひねってみると、ついに断水してしまった。ふだんは水道工事等で断水するとしても、なかなか断水しない(自宅は地域の中で低位置にあるため、本管内の溜まり水が結構利用できる。)のに、今日はすぐ止まっている。「そうか、地震で水道施設に大きなダメージを受けたな。こうしちゃおれない。今自分は地域の簡易水道組合の世話人をしている。すぐ復旧にかからねば。」。まず組合長宅

 

 

 

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