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6 まとめ

 

本稿の課題は、第3節で検討した、州と地区の国制上の位置づけをめぐる立法過程の紆余曲折が大統領と最高会議の間の力の均衡のみによって生まれたのではなく、政治社会学的な背景を持っていたかどうか、リヴィウ州の事例研究に依拠しながら確かめることであった。まず明らかになったのは、ウクライナにおいてロシアのような分権的な地方制度(連邦制と多層制自治)が採用されなかったことの背景には、脱共産主義期のエリートの再編のあり方がロシアと異なっているという事情があることである。ウクライナにおいては、州・地区レベルのエリートの権力が弱く、中央政府に対抗し得ないのである。たとえば、ロシアにおいては1996年の州知事選挙の結果、州知事は連邦政府に対する自立性を強めたが、ウクライナにおける1994年ソビエト議長選挙は、そのような結果をもたらさなかった。選挙後、ソビエト議長=「州知事」たちは、自分たちを再び任命職の国家公務員に変えてしまうような改革に唯々諾々と同意した。リヴィウ州のフラディーに見たように、自分が地方指導者であると同時に農業官僚であるという立場の二面性をむしろ利用して、州で政治的苦境に立たされた1996年から1年間キエフに避難したような例もある。また、ロシアにおいて地区を自治体にとどめた最大の社会勢力は地区ボス自身であったが、ウクライナの地区ボスたちは、リヴィウの2地区の例に見たように、キエフや州都からの自立性にはそれほど大きな利益を見いだしていない。地区ボスが全国的な政党の規律にそれなりに服していることも特筆さるべきである。

反面、ウクライナの地方制度が東中欧型に到達することもなかったのは、政治が著しくパーソナルな性格を有しているからである。本稿は、この事情を、フラディー州知事の幹部政策や州、地区レベルでの政治的対立のあり方を例として検証した。東中欧型の政治システムが発達した政党制と官僚政治との結合であり、ロシアのそれが未発達な政党制とボス政治との結合であるとするならば、ウクライナのそれは発達した政党制とボス政治の結合である。これはリヴィウ州に限定されることではなく、たとえばハリキフ州も同様であるようだ。ロシアにおいて政党制とボス政治が結合した例はスヴェルドロフスク州に見られるが、これはロシアでは例外的である。

ボス政治ゆえに、ウクライナにおける州や地区の国制上の位置づけの変化は州政、地区の政治に有意な影響を及ぼしてこなかった。1990年12月の共和国地方自治法(州・地区ソビエトの自治体化)、1992年春の大統領代表任命(州・地区執行機関の国家化)、1994年の州・地区執行機関の再自治体化、1995年憲法合意によるそれらの再国家化は、ここで検討した州や地区の政治にほとんど痕跡を残していない。州政を変えたのは、1990年3月革命、1994年のホルィニ体制の成立、1997年のフラデ

 

 

 

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